今年のラモーンズは、ハッキリ言ってそこらへんの現役バンドよりも話題に事欠かない1年でした。
ファン・クラブ・スタッフがピック・アップしたネタを裏バナシや極秘情報も含めてお伝えしていきます。



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映画 『トゥー・タフ・トゥ・ダイ』 の公開
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ジョニー・ラモーン・トリビュート映画というジョニー・ファンには幸せな、そして冷静に見るとちょっと偏った(?)映画が公開されました(笑)。しかし日本人は幸せです。世界各国では殆ど日の目を見ていないこの作品。日本はキング・レコードと配給会社ミラクルヴォイスのおかげで劇場公開にまでこぎつけている状況。DVDのリリースもない他の国に比べたら日本は来春予定されているのでまだマシ。だけど、地方の劇場公開が諸事情により出来ず、盛り上がりが全国区にならなかったというのが辛いところでした。


LAプレミア・ショーその1

裏バナシ・その1。


全国で公開できなかった事情とは、映像を流すデジタル映写機が設置されていない所では映像を流せないという、非常に物理的な問題だっただけに残念。またカイチョー・ユキを含む映画製作スタッフは、アメリカのラモーンズ関係事務所が提出してくる厳しい権利関係をクリアせねばならず、劇場公開どころか、DVDのリリースさえ危ぶまれる状況だったことで相当苦労した模様。その理由は、ジョニー・ラモーンの映画=「個人だからラモーンズの映画ではない」という理由。ええっ?? そんなですが、実際アメリカのビジネスマンはこんな考え方なんです。よって、ラモーンを映画のタイトルに付けることは出来ないとかなんとか・・・??!! 「ものすごく面倒くさかった」(by カイチョー・ユキ)

内容はまだ観られていない会員の人も沢山いるので、ここではカット。現地LAでは6月29日にジョニーとディー・ディーのお墓でプレミア・ショー公開。墓場で映画流しちゃうアメリカって国もさすがだが、あいかわらずド派手な衣装で登場のリンダ・ラモーン(いつの間にかラモーン姓)と友人たちで大いに盛り上がったそうだ。リンダには現在個人マネージャーも存在し、ジョニーをリスぺクトする人たちのために、ジョニー・ラモーン・アーミーに関わったり、商品の販売許可等ビジネスも展開していく様子。肝心のメンバーが亡くなっていることもあって、ラモーンズはもはや関係者の言葉や家族の手によって動かされ、語り継がれて行くことになっていくであろう。そしてその家族以外の人間も多く登場し始めた年でもありました。


LAプレミア・ショーその2

裏バナシ・その2。


それらによって、ラモーンズなんてさっぱり知らない、もしくは基本的には関係ない人たちがラモーンズ周りのことを仕切る=商売化している現状の為、今後というか来年以降も、例えばラモーンズに関する売れそうなグッズ・映像などいろんなものが登場する予感。FCスタッフ的には『イッツ・アライヴ』DVDみたいなものはドンドン出てほしいけど、なんでもかんでもイーグル・ロゴつけりゃスケボーからスニーカーまで売れる商売に利用されることには違和感。しかし存在しないバンドの周りってみんなこんな感じです。

それにしてもこの映画のオチは、監督の母でありラモーンズともゆかりの深い元共同マネージャーのリンダ・スタインがNYで撲殺された事件。恐いっ。撲殺って・・・血の海って・・・呪われてます。肝心の映画は『ジョニー・ラモーン・トリビュート』というタイトルだけに、さすがにジョーイのことなんてさっぱり出て来ない。これでいいのか?!ラモーンズ?! しかし、これもバンドの人間関係が家族にも影響しているらしく、今後もジョーイとジョニーが同じ土俵で扱われることはないでしょう。DVDは来春キング・レコードよりリリース予定です。ニュースは入り次第お知らせします。


リンダ・ラモーン@ジョニーのエルビス・ルーム



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ジョーイの弟、ミッキーのインタビューを発見 !
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そんなわけで、できる限り他のメンバーそれぞれのネタも拾いたいとスタッフ一同仕事の合間をぬってニュース・ネタ集めておりますが、何ぶんFC活動がメインの仕事ではないので(メインの仕事にしたいけど(笑))、皆様、ニュース見つけたらbbsで教えてねー♪と言い訳。すみません。で、ジョニーのことはリンダ、ジョーイのことはミッキーというわけで、このインタビューの内容はざっとこんな感じでした。

(「アイ・スレプト・ウィズ・ジョーイ・ラモーン」という本を執筆中と聞いたが?)

コニー・アイランド・ハイというライブハウスでバーテンをやりながら、「コニー・アイランド・ハイ・タイムズ」という雑誌を作ってたんだけど、その中で「アイ・スレプト・ウィズ・ジョーイ・ラモーン」というタイトルのコーナーを担当してた。小さい頃、怖い映画を観た後に一人で眠れなくて、兄貴のベッドに潜り込んだ・・・だから「俺はジョーイ・ラモーンと寝た」。当時いろいろ書いていたことを忘れていて、ジョーイが死んだ後、彼のライフ・ストーリーは語られるに値すると思った。ラモーンズのみならず、彼のユニークな人生と彼が物事を達成するために打ち勝ったすべての逆境についてね。そういう点で素晴らしいストーリーだよ。

(本を書くために誰にインタビューしたか?)

インタビュー・リストには60人ほどの候補者の名が並んでいるけど、ラモーンズのメンバー:ジョニー、ディー・ディーはもういないけど、俺の母親、義理の兄弟などなど、エヴェレット・トゥルーの本(『ヘイホーレッツゴー:ザ・ストーリー・オブ・ザ・ラモーンズ』)やモンテ・メルニックの本(『オン・ザ・ロード・ウィズ・ザ・ラモーンズ』)には登場しない全ての人々。ジョーイのガールフレンドや、アラン・アーカッシュ(映画『ロックンロール・ハイスクール』監督)、PJ・ソールズ、クレイグ・レオン(ラモーンズのファースト・アルバムのディレクター)、ジョーイのカイロプラクター、リッチー・ストッツ(ザ・プラズマティックス)、アンディ・シェルノフ、ダニレル・レイ、マーキー、トミー、とにかく全員。


LAプレミア・ショーその3

(この本を書くにあたって最大のチャレンジは何?)

俺と兄貴の関係かなぁ。1990年頃までは本当に親友みたいな間柄だったんだよね。バド・ライト(ビール)のCMに起用された「ブリッツクリーグ・ボップ」のバック・コーラスに自分の声を聞くまでは。ラモーンズのファースト・アルバムで俺は7曲もバック・コーラスで参加しているし、兄貴の曲作りにかなり貢献してきたのに、クレジットされていないことに不満を覚えて大喧嘩したんだ。このあたりについて書くのが一番ハードだった。いまジリアン・マッケイン(『プリーズ・キル・ミー』レッグス・マクニールの共著者)が編集しているところだよ。

(あなたとジョーイがマンハッタンに出てきてミュージック・シーンに関わるようになったのはいつ頃から?)

1960年中頃からかな。ジョーイがヴィレッジをウロつき始めたのは13歳あたりだったから、67年か68年。ヒッピーみたいな・・・ジミー・ヘンドリックスみたいな格好をしてた。兄貴が16歳ぐらいになると12歳になった俺や友達も巻き込まれるんだけど、俺が始めたバンドのシングルを兄貴がプロデュースしたりライヴをブッキングしてくれたりしたっけ。

(ジョーイがどこかでラモーンズ再結成を望んでいたと思うか?)

彼がそれを口にしたことは一度もなかったし、そう望んでいなかったと思う。彼にはもう充分だったんじゃないかな。

以上、2007年6月時点で『サースティー』というサイトに掲載されたミッキー・リー独占インタビューでした。編集に入っている段階と言っている本も2007年の秋には日の目を見ず。2008年には何か聞えてくるかも知れません。また、既に映画製作の話も出ているようで、今度はジョーイ・サイドの映画公開なんて日も?!
原文はこちら↓でどうぞ。BGMで流れてくる曲は、「Jerk」by ミッキー・リーのバンド、STOPデス。
Thirsty


LAプレミア・ショーその4



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ドイツのラモーンズ・ミュージアム閉館
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なぜ閉館したのか? 金銭的に存続が無理なのか? もしくはラモーンズ関係ビジネスマンたちの横やりか?とスタッフは勝手に憶測とばしまくって、このネタで盛り上がってましたが、そんな折、会員の渡辺一夫サンより「ドイツのミュージアムに行って来た!」という滑り込みセーフの情報提供が!! この写真を見ていると行きたくなってくるし閉館が惜しまれます。渡辺サン、貴重な写真と情報を本当にありがとう。というわけで、最後のミュージアム・グッズ写真とリポートをお楽しみください。

[(前略)ドイツと言えば何故かベルリンにラモーンズ博物館なる物があるではないですか。HPを以前から見ており、いつか行きたいと思ってたので、この機会を逃してなるものかと思い、しかし土日しか開いてないので、結構タイトなスケジュール。フランクフルトからICEでベルリンへ。ホテルにチェックインしたのが3時位だったので、後3時間しかない! 急いで電車で駅に向かう。勿論場所は知らないので、飲み屋のおじさんに聞きました。「後2ブロック向こうだよ」ちゃんと2をツヴァインって言ってましたね(当たり前)。ふらふら捜すとラモーンズ博物館あちら、みたいな看板を発見!


ラモーンズ・ミュージアムその1

おお、ありました。HPで見ていたあのロゴマーク。早速中に入りましょう。事前にYUKIさんから「あんまり期待しないほうが・・・」と言われていたので、どうなのよ?と思っていましたが、小っさ!狭っ!小さい部屋が2つあるだけです。しかしそこにはラモーンズマニア垂涎のお宝が山の様にディスプレイされております。

ジョニーのジーパン、ジョーイのグローブ、CJのベースストラップ、大昔の新聞記事、宣材写真、ツアーポスター、セットリスト等々。日本物で言えば、初来日時のTシャツ、ラストツアーのパンフ、ポスター、DEE DEEが表紙のDOLL誌等々・・・さすがに見たことない物も多いですが、何度もHP見てたので、こういう感じになってるのか、というのが正直な感想。


ラモーンズ・ミュージアムその2

自分の他に5、6人おり、続々と客は入ってきましたね。しつこいくらい見ても30〜40分で終わります。残念だったのはTシャツが売切れだった事。ラモーンズといえばTシャツでしょう。ちゃんと在庫しておいてくれないと。皆無賃入場なんだから(笑)。以外とあっけないかもしれないけど、CD『ラモーンズ・マニア』の拡大版だと思えば、楽しく見れるのではないかと。


ラモーンズ・ミュージアムその3



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ハーレー主催のアート・ショウ開催
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世界中でいろんなラモーンズ・イベントが行われているけど、このアート・ショウをピック・アップしたのは、出品者にラモーンズのアート・ディレクター、アートゥロ・ヴェガの名前があったから。ということは、展示の品も相当なものが期待されるというわけで・・・。さっそくサンフランシスコのラモーンズ・マニア、ミック君が写真を提供してくれました。で、日本語だから書くけど、ミック君の写真が今いちで貴重な品々が伝わってきてないのか(笑)、ヴェガ氏があまり提供しなかったのか微妙。とりあえず、見たことないものもあるので紹介します。「展示の仕方がなにげにゲイ・ショップ・フレーバーじゃない?(笑)」by カイチョー・ユキ。


アート・ショウその1

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『I Love RAMONES』の裏バナシ
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カイチョー・ユキです。今年もみんなHPに遊びにきてくれてありがとうござました。
ここを読んでいる人たちはみんな永久会員。今後もというか、まあ、とりあえずは私がラモーンズを嫌いにならない限り、死ぬまでちんたら活動できればいいなと思ってます。だから、どうぞ気長につきあってください・・・となぜか「挨拶」から始まりましたが(笑)、裏バナシ書きます。

たぶんみんな私が出版するということで写真集の方を期待してたかと思います。自分でも、本当は写真をメインにした本を出したかったのだよ。では何故できなかったか? それは日本の出版界では「写真集は売れない、商売にならない」から。読み物であればOKという条件付きが殆どだから、ああいう本になった。


アート・ショウその2

書く内容もFCの会報的内容ではなく、一般のロック・ファンが読めるものを目指すことに。そうした条件をクリアしなければ、自費出版本を自分で出費するしかないのだ。そうなってた場合、出費は貧乏になるが、そこはクリアしても、全国の書店に並ばないのが痛いところ。さらに仕事の撮影もあるから本の為に多大な時間をそこだけにもっていくのも不可能などなど、いろいろありました。内容はもちろんネガティブなことを書くつもりは最初からなく、しかし今回のような自伝的ストーリーも自分のアイデアとは言えない。あの本は結論から言えばラモーンズを知らないロック・ファンにも読んでもらいたかったし、そうなったからOKだけど、FCの会報的なマニア向けの内容だったら、たぶん出版してくれるところは残念ながらどこにもなかった。出版者内に音楽ファンが存在しない限り、意外とラモーンズはまだまだ知られてないのです。

書けなかったエピソードとNG写真もまだどっさりある。ちなみにファンの人や会員からの質問に「マーキーはカツラですか?」とか「日本滞在中のホテルの名前」とか「ジョーイのことをもっと」とかいろいろあるけれど(笑)、書きためといて、またいつか続編を出したいなあと思います。内容によっては答えかねますが(笑)。ちなみにこれは教えちゃいましょう。宿泊ホテルは東京は新宿のセンチュリー・ハイアット(現在、ハイアット・リージェンシー)でした。


アート・ショウその3

そして今日は特別に、本に書かなかった「ポケット・ティッシュの話」というエピソードを披露しましょう。東京の新宿・歌舞伎町エリアでは、95年当時にはもう、街中で広告の入ったポケット・ティッシュを配っていたんだけど、私がポイポイ受け取るので、それを見ていたメンバーが「お前はさっきから一体何を受け取っているんだ?」と聞いたきた。で、「無料のティッシュ。広告だから誰がもらってもいいんだよ」と説明したらみんなが受け取るようになっちゃって(苦笑)。けど、ラモーンズのメンバーがティッシュ受け取る絵ってカッコ悪いじゃない? だから、受け取るのが当たり前になってたある日「あのー、あんまり受け取らない方がいいと思うけど・・・」と一応言ってみた。でもあとの祭りというか「お前は受け取って、ビジネスマンも年寄りもみんな受け取ってるのに、なんで俺たちはいけないんだ?」と軍曹に言われ・・・面倒くさくなって「じゃあ、受け取っていいです・・・」と答えた、なんつーのもありました。

ラモーンズのモノを作る時、メンバーが生きていたらメンバーに許可をもらえばよかったけれど、今はここの記事にもあるように、ビジネスマンが取り仕切っているからいろいろと大変。今後、写真集を出せるのかも彼ら次第なとこもあり先行き不明。本製作中は、担当者、デザイナー、人に恵まれました。

表紙のピンクの文字色から星の型抜き、ロゴを載せる印刷まで、ラモーンズに合う様々なアイデアを提案、しかも印刷の校正用紙が足りなくなったり、予算が足りなくなった時も今回のデザイナーの井上さんが紙屋さんに出向いて直接交渉で紙を買ってきてくれたり、「ピンクの色、気に入るまで印刷の見本を出してもらおう」と提案してくれたりと、普通の業務的作業ではなかった点にも感謝。そして気付いた人もいると思うけど、出版日が本当は9/22だったけど、CJとジョニーの誕生日である10/8と本には印刷されているのも担当者の計らい。


アート・ショウその4

何から何まで愛情に溢れてて素晴らしい仕事でした。みなおじさん達だけど、職人の仕事を見せてもらった。出版社の担当者は、先日東京であった爆音ライブにも通うラモーンズ・マニアになっちゃったことも収穫?(笑)。

しかしメンバーが生きてたら、私は間違いなくこの本は書いてない。そしてもしメンバーが生きていた寿命がきて死ぬ頃には、私もいろんなことを忘れてしまってて書けていなかったであろう。さまざまな業種の人やミュージシャン、もちろんラモーンズ・ファンから、沢山感想メールや手紙を頂き、この場を借りてお礼を言います。ありがとう。その中で驚いたのが号泣したという意見が結構多く、しかもそれが男性が多くて驚き。同性の方が何か分かる部分があるのかな。執筆は今年の春に聞き込み取材をスタート、夏までの3カ月で毎日少しづつ書きました。

88年の来日で日本でのラモーンズの評価がまさに手の平を返したように変わり、動き出したのも今となっては新鮮な出来事。ステージ・パフォーマンスが全てを変えた瞬間だった。だから今、自分たちが普通に何気なくやっていることも、いつ、何を機会に価値がひっくり返るのかわからないなあと思うし、それがあの時だったんだなあ、と書いてやっと気がついた。もちろん2007年の未だにFCをやっていることも当時は全く予測できないことだったし、ラモーンズがこんなにレジェンド化するなんて予測も0%。わからないもんです。

それから、本の中での私とジョニーの会話。実際に話していたことは実はもっと長かったり、ストレートだったり、また1対1ではなかったりと異なります。


アート・ショウその5 ハモーンズ・ライヴ!

そこは文章量のリミットでいろいろと省かざるを得なかったので仕方ないんだけど、例えば88年に取材現場で初めてジョニーと会話した時の彼の対応もフレンドリーでは無かったのが現実。あの本をトータルで読み進めて行くと私が自分側の視点から書いているので「私から見たジョニー」になってるけど、実際はみんなが予想するより鬼軍曹だった(笑)。例えば取材後の廊下で私がジョニーに「いつかラモーンズのアルバムをCD化するのがこの仕事をしてラモーンズ・ファンである私の夢です」と伝えたんだけど、これだけ読んでると夢見るラモーンズ・ファンの女の子の言葉に読み取れる。が、これに対する実際の軍曹からの言葉は「お前に一体何ができるっていうんだ? はっ?」と皮肉たっぷりでした。これが最初に交わした言葉。普通の女の子のファンだったらたじろぎそうだが、私は相手が高圧的な態度でもあまり響かないボケ娘だったので、一時が万事こんな感じで会話は成立してました。こうした、聞こえ方によってはドライな言葉に対しても、ひるむことなく応対していくと軍曹とのいい人間関係が作れるっていうわけです。最もこの時のジョニーは私をファンというよりもマスコミという印象で捉えていた方が強かったのかも。私の場合このあと「I Have No Idea(CD化・・・わかんないなぁ)」と答えてしまい、さらに冷めた目で睨まれただけでしたが。という感情も実際には存在するんだけど、細かく描写できませんでした。本を読みながらこんな感じだったのかなあ、というのも想像しながら読んでもらえるとまた楽しく読み返せるかもです。というわけで、以上裏バナシでした。

来年のFCは本気で飛躍する予定。HPのコンテンツも増えるので、しつこいけど、どうぞ皆様、気長に付き合ってください。ではでは、良いお年を♪

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2007.12.25

テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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