2003年にスピード・キングスで来日したマーキー・ラモーンFC独占インタビューをお届けします。本人の要望もあり、このインタビューは彼の話を忠実に再現し、ラモーンズのメンバー間の問題などが赤裸々に語られています。
FCでは、彼の意志にそう形で一切のカットをせずに掲載する事にしましたが、全てが会員にとって納得いく、また満足いく内容ではない事をご了承ください。
インタビュー中にでてくるトリビュート盤とは「ハッピー・ファミリー」の事ですが、この取材の中でマーキーはこのトリビュート盤のリリースに反対の立場を主張しています。しかし2004年2月29日の時点でアメリカのRAMONES.COMサイトではキッスのメンバーと一緒の写真と共にトリビュート盤の中で好きな曲を公表しています。この点に関しての真相はFC JAPANでは不明であり、会員からの質問等にはお答できません。あくまでも、この時期のマーキーの発言を忠実に再現する事に致しました。FC JAPANでは中立な立場を取るためにインタビューに対し一切の解説はおこないません。また一部スピードキングスに関する記事も本人の要望により掲載できなくなり削除しした事をご了承ください。それでは、マーキー・ラモーン・インタビュー前編をお楽しみください!!


●先日は日本で初DVD化された『ロックンロール・ハイスクール』のインタビューを受けてくれてありがとうございました。とてもおもしろい話がきけて楽しかったです。あの時あなたはヨーロッパにいたけど、現在のバンドの活動拠点はヨーロッパですか?


M:スピードキングス自体がヨーロッパのバンドだから、拠点はヨーロッパだよ。彼らとは友達なんだ。ジョーイが亡くなった時、胸がいっぱいになったというか、ひどく落ち込んでね。ラモーンズのメンバーでジョーイを見舞いに病院まで行ったのは俺一人だけで、彼のソロ・アルバムに参加したのも俺だけだった。バンドが引退してからもジョーイと友達でいたのは、俺とトミーだったしね。俺は本当に落ち込んでいたから、スピードキングスと一緒にアルバムを作らないかと話を持ちかけられた時、とにかく何かしたいと思った。ジョーイの死から気持ちを遠ざけるためにもね。それに、彼らが送ってきた音を聴いて気に入ったんだ。いつもと違うサウンドを耳にして嬉しかったよ。まあ、ラモーンズとそれほど違うわけでもなかったけど、何かが違って聴こえた。それでアルバム作りに参加することにして、4日で終わらせて、うまいこと仕上がったよ。俺はとにかくプレイしたかったんだ。イントゥルーダーズとは、もう一緒に演りたくなかったし、ちょうどスポークン・ワードといって自分が通過してきたパンクロック・シーンについて語る講演会のツアー中で、『ラモーンズ・アラウンド・ザ・ワールド パート2』の準備にもとりかかっていたんだけど、そんなところに話がきてタイミングとしてはピッタリだった。とりあえずメンバーと親交を深めることから始めたよ。みんなが気に入ってくれるかどうか反応も知りたかったし、そうでなくても別にかまわなかった。俺は楽しかったし。もちろん気に入ってもらえるに越したことはないけどね。昨日の夜、ライヴを観てくれたと思うけど、速いプレイをたくさん披露できて楽しかったよ。オレの能力を発揮できる変化あるプレイもできたしね。



●マーキー・ラモーン&ザ・スピードキングスはプロジェクト? それともパーマネントなバンドですか?

M:プロジェクトだよ。楽しいバンド。俺がやるのはすべてプロジェクト。ひとつのことにこだわるつもりはないんだ。自由にやりたいね。もし誰かにプレイしてほしいってアプローチされたら、クオリティーが高くて楽しくプレイできそうであれば、俺はOKする。どこかのバンドにプロデュースしてほしいと言われて気に入ったら、俺は引き受けるよ。金がすべてじゃないんだ。金がすべてじゃない…いろんな人達とプレイすることも気にならないし……幾らもらえるかなんて問題じゃない。俺がいいたいのは、自分が気に入って誰かと一緒にプレイしたいと思うんなら自由にやればいいってこと。いまのところ俺はスピードキングスが好きだし、(ミスフィッツの)ジェリーとデズとプレイするのが好きだ。あれはミスフィッツとは呼べないけどね。ザ・ジェリー・マーキー・デズ・バンド(笑)。君たちがミスフィッツと呼びたいのなら構わないけど……一緒にプレイしないかって、彼らの方から誘ってきたんだ。俺は常にラモーンでミスフィッツのメンバーだったことは一度もないけど、ジェリーもデズも一緒にいると楽しくてね。それにミスフィッツの面白いSFホラー・ソングが好きなんだ。俺たちはラモーンズやブラック・フラッグの曲も何曲かプレイするから、いろんなタイプのオーディエンスがいるよ。みんな「一体どんな感じなんだ」って観に来るわけさ。

●ラモーンズでプレイするのに比べて、スピードキングスでのプレイには何か違いはありますか?

M:あるよ。よりテクニカルだね。いまのバンドは(机を叩きながら)ただの8ビートじゃないんだ。たくさんのアクセントがあれば間の取り方も違うし、ためなきゃいけない部分も多い。ラモーンズではできなかったことが多々ある。彼らには、こういった音楽をプレイするほどの能力がなかったからね。でも、それは決してラモーンズがグレイトじゃなかったという意味ではないよ。あの頃とは違う、着色した変速的なプレイをしている感じ。オレは、ラモーンズに入る前から、色んなプレイの仕方を知っていたけど……違う、いまのオレは、ラモーンズに入る前のやり方でプレイしているんだ。より速いドラミングだね。まぁ、少し崩した感じがあるのが、昔と違うところかな。ラモーンズの曲は、ストレートで簡単な作品ばかりだったから、彼らには忙しくプレイする機会がなかっただけさ。

●5月に2つのジョーイ追悼イヴェントに出演していましたが、どういった経緯で参加が決まったのですか? また、以前スポークン・ワード・ツアーをやっていたそうだが、続けていますか?

M:5月のジョーイ追悼イヴェントは、彼の弟ミッキーと母親シャルロットにプレイしてくれって招待されたんだ。俺とミッキーと…確か元ブラック・フラッグのデズともう1人ギタリストがいて、アンディ・シェルノフが…いや、違うな。ビリー・ヒルファイガーだっけ、いや、ビリーじゃない。ヒルファイガー3兄弟の名前はなんだっけ? え〜と、ビリー、トミーに、アンディだ!アンディ・ヒルファイガーがベース。そのメンバーで「ワンダフル・ワールド」をプレイしたんだ。ミッキーがヴォーカルで。うまくいったし、最高だったよ。それが終わったら、CBGBでやってたもうひとつの追悼イヴェントに行かなくちゃいけなくて、そこでは、ダニエル(・レイ)、ジェド、CJと演って、それから、ジェリー、俺、デズでプレイした。ジョーイの良い追悼になったし、あの日は俺も楽しかったよ。あと、ディー・ディーが死んだ時は、「俺」がイヴェントを企画したんだ。NYのコンチネンタルというクラブで、ジョーイの時と同じ人達を集めてね。

●あなたがスポンサーだったんですか?

M:そう、俺が仕切った。


●9月でしたか?

M:いいや、夏だよ。いや、春か。ディー・ディーが死んだのはいつだっけ?

●6月です。

M:そうだ、それならたぶん7月だよ。7月9日か10日だったと思う。ディー・ディーのために企画したんだ。

●スポークン・ワード・ツアーについては、どうですか?

M:74〜75年から現在に至るまで、俺が通過してきたパンク・シーンについてスポークン・ワード・ツアーをやらないかって頼まれたんだ。ウェイン・カウンティーあたりからスタートして、リチャード・ヘル、ラモーンズ、俺の友達だったジョニー・サンダースやジェリー・ノーラン、それから、スティーヴ・ベイターズ、シド(・ヴィシャス)、クラッシュも登場する。リチャード・ヘルとクラッシュのツアーや、俺が関わったラモーンズのアルバム作りはどうだったかなど話しながら、90枚のスライドを見せるんだ。すべてパーソナルな写真ばかりだよ。俺がステージにあがる前に15分くらいのビデオも上映している。もちろん俺個人が撮った映像からピックアップしてね。だから、だいたい2時間くらいなんじゃないかな。ニューヨークのパンク・シーンすべてについて語るんだ。

●会場は大学だけですか?

M:そう。いや、クラブも。ロンドン、アイルランド、オランダでもやったよ。アメリカでは主に大学なんだけど、ヨーロッパだと……ホールみたいな場所。ロンドンでいうとディングウォールズといった会場。でも、すべてをこなすのは難しいね。だって…ニューヨークでリメインズのライヴ・アルバムのミックスに立ち会わなければならなかったり、ジョーイのソロ・アルバムに参加したり、とにかくスポークン・ワード・ツアーの合間にやらなければいけないことが沢山あった。だから、これから追加で日程を組まなければいけないかも知れないんだけど、ミスフィッツとのツアーが控えているし、スピードキングスとはカリフォルニアで15回のショウをやる予定になっているんだよね。

●12月27日から割と長いツアーですね。

M:うん。アメリカ西海岸…カリフォルニアに行くよ。

●話は戻りますが、いままでにスポークン・ワード・ショウは何回やったんですか。

M:30回くらいかな。アメリカ、ヨーロッパとあわせてね。
観客は400〜450人。話を聞いてもらうには十分な人数だ。

●ジョーイ追悼シングル「バワリー・エレクトリック」に参加したわけですが…

M:それは…参加した理由はたったひとつ。何かというと…あの曲が気に入ったから。それから、俺はジェド(・デイヴィス:「バワリー・エレクトリック」を作詞作曲、ヴォーカルも担当)が好きだし、ダニエル(・レイ)も好きだし……アルトゥロは嫌いだな、CJは…分かるだろ? とにかく良い曲だったし、ジェドのことを気に入ったし、ダニエルがいたから。それが理由。

●それが唯一の理由ですか。

M:そのとおり。それに、ジョーイ追悼としてはすごく良かったと思うよ。

●それ以外に、何か追悼プロジェクトに参加してますか?

M:ノー。俺はもう二度とやるつもりはないよ。

●他のバンドたちとは?

M:ニューヨークのバンドで? ノー。

●スピードキングスとはどうですか?

M:ノー、ノー、ノー。

●(スピードキングスと一緒に)一曲演っていたような気がするんですが。

M:トリビュートは、あれだけだよ。トリビュート・アルバムはたくさん出ているし、これから出るラモーンズ・トリビュートもあるし、俺はこれ以上トリビュート・ソングなんてやらない。正直にいって、俺はトリビュート・アルバムはそれほど好きじゃないんだよね。参加バンドがラモーンズ・ソングをプレイするのに費やす時間と努力は買うけどさ。でも、もう十分すぎるほど出尽くした感じ。今度カリフォルニアから出るトリビュート・アルバムを聴いたけど、よくないね。恥ずかしいよ。どうしたらいいのか困るくらいヒドイ。あれは…ええっと、メタリカ、ロブ・ゾンビ、(上ずった声で)U2、マリリン・マンソン、キッス…聴いてみたんだけど、口から出たのは「こんなの信じられるか。パンクでも何でもない。最悪だ。ジョニーは一体何をやってるんだ?」だったよ。俺だって参加してるバンドには敬意は表すし、彼らの成功は認める。でも、キッスがいつラモーンズを好きだったっていうんだ。それに……マリリン・マンソンのファンがラモーンズを気に入るわけがない。ロブ・ゾンビ……勘弁してくれ!

●彼はラモーンズのファンですけど。

M:(即答で)そんなことはどうでもいい。問題なのは、俺がロブ・ゾンビを嫌いだってこと。俺はキッズが聴く音楽も好きじゃないし、手の裏を返すように誰かが…コロンビアだかCBSだかのレコード会社が、金に目がくらんで「ジョーイとディー・ディーが死んだからラモーンズ・トリビュート・アルバムを作ろうぜ」って始めたんだ。2人が生きていた頃に一体ヤツらは何をしたっていうんだ? 俺のいいたいことが分かるか? とつぜんジョーイとディー・ディーの死に便乗して「トリビュート・アルバムを作ろうぜ。100万枚くらい売って100万ドル儲けよう」っていう感じでね。俺があのアルバムを聴いていいと思ったのは2バンドだけ。ランシドとモーターヘッド。それ以外は最悪だね。こんなこといって申し訳ないとは思うけどさ。もっと出来のいい作品だったら良かったのに。ジョニー、ジョーイ、ディー・ディー、トミーの利益につながることであれば、オレだって賛同するよ。でも、あれはよくなかった。それに、ラモーンズを本当に理解していないやつらが自分たちのスタイルで演ったところで、全く別ものになるだけだよね。例えば、キッスやメタリカ。たぶん彼らのファンは気に入るんだろうけど、俺は彼らのファンがラモーンズを好きになるとは思わない。キッスのファンがラモーンズを好きだとは思えないし、メタリカのファンだってラモーンズを気に入るとは思えない。彼らはヘヴィ・メタル……ヘヴィ・メタル・ショック・ロック・バンドなんだ。パンク・グループじゃないだろ。

>>>前編完 / 後編に続きます>>>

#インタビュー/RAMONES FC JAPAN
2004.08.20


テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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