2016年のUSA編の時の失敗は、私の歩行の速さについていけず、さらには歩きすぎて足を負傷する人が出たことでした。この失敗を踏まえて(すみません)今回は休憩を所々に挟みながら、ちゃんとランチ休憩もする巡礼ツアーにしました。雨も降り出していたし。因みにランチ・タイムで出た質問を少し紹介。

1 : ジョニーはどうしてホテルのクリーニング・サービスを使わずに新宿のコインランドリーを使ったのか?

このレポートを読むとき、頭の中に置いておいてほしいのは、これが「1990年代」だと言うこと。NYのマクドナルドではハンバーガーが100円しなかった時代(80セント=約80円以下が平均)、新宿のホテル・センチュリー・ハイアットのロビー・フロアに在ったレストラン(『I Love RAMONES』に書いたメンバーをヤンキーと呼んだ従業員のいた店)で、ハンバーガーを頼むと千円以上もして、小さいハンバーガーがでてきた。これをマーキーは「$10バーガー(テンダラー・バーガー)」と名付けてため息をついたいたので、ホテル値段の高くて量の少ないご飯同様、Tシャツの洗濯にも高いお金を払いたくなかったんじゃないかと思った。ラモーンズの80年代、特にアメリカではツアーはバンに乗ってモーテルに泊まるバンドだった。



そしてニューヨークの日常と同じことをしたのだと思う。マンハッタンのアパートには洗濯機がない家も多く、街にはコインランドリーがどこにでもあった。東京でいうコンビニの数ほど、少し歩けばコインランドリーがあった。その日常のまま普通にそうしたんじゃないかと思う。私がNYに住んでいたことを知っているジョニーは、例えばコンビニのことを「チェルシーの22丁目のグロッサリーみたい」と言い、そんな会話のキャッチボールが成立したからそれも良かったのかもと今は思う。これは憶測だけど。長いツアーをするバンドは毎日環境が変わるより、より日常に近い生活をしたかったのかもと思った。それにもちろんコインランドリーの方が安いしね。

2 : 富士そばで何を食べたのか?

海老天を乗せたそば(温)です。とにかく公演のある日は15時にプロモーターが迎えに来るので14時半にはホテルに戻らなければならない。だから新宿西口のレコード屋巡りに時間を使うため、(私が)立ち食い蕎麦屋を選んでしまった。最初に「お腹すいたから簡単に何かを食べてから行こう」と言われすぐに「じゃあスタンディング・ヌードル・ショップ」と。富士そばの外から中を見せて「あんな風にトレーに乗せてもらった立って食べるの。まあまあ美味しいよ。マンハッタンのTADステーキ(手頃な$5ステーキ屋)みたいでしょ?」というと「合理的だ」と言った。ジョニーは1990年もまあまあいい店を選んでて、東京のスーパーでいうなら紀伊国屋的な店を使っていた。

でも郷に行ったら郷にしたがった。私は質より時間を選び、中を覗かせて本人がOKを出したので、入った。でもこのシステムは意外と気に入ったみたいで、スーツのサラリーマンに混じって不器用そうな手つきで箸を使いながらおそばを食べ(ラモーンズは誰もすすれない→今や豚骨ラーメン屋で「麺はバリカタ」とリクエストするCJはすごく上手に箸を使えるけど)

ジョニーは1990年の日本をリスペクトしていたと感じた。サラリーマンを見てさっさと立ち食いを食べて仕事にもどる姿を「勤勉だ。だから発展する」というような表現をしていた。それに立食い蕎麦屋にくる客はジョニーのことをジロジロ見たり全くしなかったことも気に入っていた。マンハッタンでは道で「君、ミュージシャンだろ?」といちいち聞かれるのをすごく嫌っていたので。もう一つ当時新宿にたくさんいたホームレスを見て「なぜ日本にホームレスがいるのか理解できない」とも。そのホームレスが新聞や本を読んでいることもカルチャーショックだったようだ。「マンハッタンのホームレスで本を読んでる奴なんていないだろ?」と言われた。

ランチ・タイムは質問を受けたりお土産を渡した。会員のMIKIちゃんが参加者のために持ってきてくれたYOOHOOドリンクのチョコバーも。彼らの楽屋に常備されていたドリンクのお菓子バージョン。これ2016年にUSAでも探したけど、私たちには見つけることができなかった。一つ余ったので切ってみんなで試食してみました。そして革ジャンに装着するジョニーの肩チェーンを製作している革工房JACKの安藤さんが、このツアーの記念に。一つ一つ手作りでキーチェーンを作ってくれた。こんなステキな1点ものを東京を歩いた記念にできるなんて。安藤さんありがとうございます。私がLAのチャイナタウンで撮影したモズライトのフライヤーも。ランチの後はバスで渋谷へ。



渋谷の東武ホテルが1980年の初来日でメンバーが泊まったホテルだ。このホテルは1975年にできたらしい。来日取材を行った当時の雑誌『MUSIC LIFE』で鮎川誠さんと対談をしジョニーはガードレールに座っていると思われるけど、バックのレンガの壁は、あのころ普通にあった風景。雨の降りしきる渋谷の街のどこなのか探せなかった。デジタルの時計も東武ホテルの壁にはなかった。





帰宅してどうしても気になり調べると発見できた。渋谷には「タバコと塩の博物館」という建物がちょうど東武ホテルの前にあった。その画像をクグったら壁にデジタルの時計が見えた。やっぱりあそこだった。ジョニーと鮎川さんはホテルの前のガードレールに座って写真を撮っていたようだ。









初来日の頃、私はジョニーとはまだ出会っていないので、後から聞いくと「東京の街はルックスはNYみたいなのにすごく平和そうに見えた」と言っていた。ジョーイは「ベッドが小さいホテルに泊まった」と(笑) 雨の中を歩いて、ライヴ会場だったPARCO(の中のパルコ劇場=西武劇場)に行きたかったけど、そのPARCOも現在は、さら地になってしまった。渋谷からラモーンズに関する何もかもが消えてしまった。もうすこし早くやればよかったと後悔した。この写真のスペイン坂スタジオがあった通りなんてしょっちゅう普通に歩いていたのに…そしてここをラモーンズも歩いていた。東急ハンズのあるあたりを中心に打ち上げの焼き鳥屋「串助」も移転した。





結局、渋谷ではゆび指し観光もできなかった。何もかも変わり消えるということを目の当たりにしながらも、USA編に参加した会員からクイーンズみたいなレンガの壁がある場所を教えてもらいみんなで記念撮影をし渋谷から下北沢のフラッシュ・ディスクランチという老舗のレコード店に移動した。<続く>


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2018.06.15

テキスト&写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan ©RAMONES FAN CLUB JAPAN
取材協力 : もにゃこ(RAMONES FAN CLUB JAPAN)
デザイン : ヤーボ・ラモーン(東京ラモーンズ)

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