ポップな曲と愉快で時にシニカルな歌詞はラモーンズゆずり?! 新曲「ラモーンズ・フォーエバー」を聴くまでもなくバンドの存在こそがラモーンズへのリスペクト。世界中のロック・ファンを虜にしてきたそのサウンドとキャリアはもはやラモーンズを超越したかも?! ステージもオフも自然体のNaokoさん(Vo+G)が、ラモーンズ・ファンとして話してくれた言葉。インタビューもポップになっちゃう少年ナイフの魅力が凝縮されてマス。

●まずは、洋楽ロックとの出会いを教えてください。

── Naoko:洋楽は中学生の時のビートルズが最初で、その前は郷ひろみ(笑)。

●ありましたね、ヒロミ・ゴーが全盛期の時代が(笑)。ビートルズはどのアルバムを最初に聴いたんですか?

── Naoko:友だちとベスト盤の「赤」と「青」を買って交換しながら聴いたのが最初で自分は「青」を買いました。

●メンバーでもあるAtsukoさんは、そのLPの分担買い作業にはまだ参加してないの?

── Naoko:徐々にという感じで参加するんだけど、この頃は年齢もまだ離れていたから、Atsukoは洋楽を積極的に聴く感じでもなかったかなぁ。

●いくつくらい離れているんでしたっけ?

── Naoko:学年で言うと3学年下で、洋楽どころか歌謡番組をテレビで見るくらい(笑)。中学生くらいからだんだんビー
トルズに向かっていったかな。

●なんか楽しそうな姉妹でいいですねぇ。ビートルズの次に好きになった洋楽は?

── Naoko:えっとKISS(笑)。

●わっ、いきなりビッグ・ネーム。そのころのKISSはもう初来日をはたしているの?

── Naoko:初来日公演に行ったよ。

●うわ! いきなりキターーー!という感じ(笑)。「ステージで火は噴いたか?」とか、そっちの話も凄く聞きたいとこだけど取材を続けましょう(笑)。

── Naoko:確か大阪のフェスティバル・ホールだったかな。でも初めて見に行ったコンサートは初来日のエアロスミス。

●えええーー! またまた貴重なネタがぞくぞくと(笑)。グッと押さえて質問を続けますが、KISS、エアロがど真ん中の時代に洋楽ロックの影響をストレートに受けたんですね? となると女子のロック代表ということでランナウェイズにも影響をうけちゃったりしてる?

── Naoko:ランナウェイズはテレビでちょこっと見ておもしろいなとは思ったけど、女の子がやっているとアイドルに見えたし、自分は男がガーっとロックしている方がカッコイイと思ってたから特に影響はされてないかなぁ。

●洋楽ロック黄金の70年代後半、KISS、エアロと来ると次はいよいよロンドンからパンクが入ってくる時代だけど、すぐにはパンクには向かわなかった?

── Naoko:いや、もうパンクが来たらガーっと走ってついてっちゃった感じ(爆笑)。

●やっぱり(笑)。当時はパンク・バンドの情報はどうやって入手してたんですか?

── Naoko:当時FM OSAKAに田中正美という人の「ビート・オン・プラザ」っていう番組があったんだけど、この番組は新作を1枚全曲かける番組だったのね。それで時間も夕方の5時頃とか学校から帰ってきて聴くにはばっちりの時間帯だったから宿題もやらずに必死にカセット・テープにダビングする作業に追われていました(笑)


●ラモーンズはかかったんでしょうか?

── Naoko:ラモーンズは確か『ROCKET TO RUSSIA』が、かかったんだけど、何しろ初めてラモーンズを聴いたのがその時で、聴いた瞬間に(うわぁああ!)ってなってすぐに好きになった。イギリスものもどんどん好きになって例えば、バズコックス、ストラングラーズ、ジャムとか、あとは輸入盤屋さんに行ってレジロスとかエックス・レイ・スペックスとか、もう、とにかくいろんなLPを買いまくってた。

●すごく充実した洋楽ロック生活を送ってますねぇというか私もそうだけど、当時はハード・ロックもパンクもあんまり関係なく、盛り上がっている洋楽は全部聴き倒すという時代だったよね? 来日公演も結構見にいっていますか?

── Naoko:そうそう。ジャンルなんて全く関係なしでありとあらゆるコンサートに行ってたなぁ。トーキング・ヘッズから10CCとか、ゲイリー・ニューマンまでいろいろ。
そういえば、Atsukoが高1の時に京都でストラングラーズのコンサートに行ったんだけど、コンサートが終わったのが遅くて終電になっちゃってね。当時は携帯電話もなかったんで、コンサートに行った子たちが京都から戻ってこないっていうんで、その親たちが駅に集合して待ってて、駅についた途端、親たちに相当怒られたっていう話を今思い出しわ(笑)。

● 当時らしいエピソードだなぁ。洋楽のコンサートに行く行為がまだ日常的じゃない時代だったというか。それでも東京や大阪はすぐにコンサートにいけるから恵まれていたかもね。

── Naoko:そう。大阪には『ROCK MAGAZINE』っていう雑誌もあって、いろんな情報はそこからも入手できたりしてそれも読んでたかなぁ。

●その雑誌名は知らなかった、初めて聞いた。でも大阪もコンサートは沢山あったから、そうゆう雑誌はあって当然という気がする。そのころにはバンドをやりたいなと思い始めたりしてたの?


── Naoko:少しはそんな気持ちもあってまずはアコギかなと思ってモーリス・ギターを買ってもらったんだけど、堅くて弦がおさえられなかったりして挫折(笑)。高校卒業したあたりで、今度は自分のお小遣いでストラトキャスターを買ったんだけど、フェンダーじゃなくてファウンダーというメーカーでした(笑)。

●ははは。最初はみんななんちゃってギターからスタートだよね。さて少年ナイフがラモーンズの前座を務めたのは95年のラスト・ツアーだけど、その前にメンバーと交流はあったりしましたか?

── Naoko:交流はないんだけど、確か92年にイギリス・ツアーでロンドンに行った時に一日休みの日があって、そのときに丁度ブリクストン・アカデミーでラモーンズがやってたから見に行ったくらいかな。

●その時にも挨拶とかはしてないの?

── Naoko:うん、ただ見に行っただけ。でもAtsukoはその時に物販コーナーでマーキーのスティックを買ってたけど。

●あのサイン入りスティック?

── Naoko:そうそう、サイン入り(笑)。めっちゃ太いスティックと細いスティックのセットで売ってて、たぶん左が太いので右が細いのだとかなんとか話した覚えがある。

●え? あの太さの違いはそれでセットなの? 私はずーっと使用済みのスティックを適当にセットにしてサインして売っているんだと思ってたよ。太さで使いわけは新しい説かもしれないねぇ。ありえる・・・。ところで95年に前座を務めた時には、メンバーと直接お会いしたと思いますが、その時には何か話をしましたか?

── Naoko:ユキさんの本(『I Love RAMONES』)にも書いてあったけど、リハーサルの時間て凄く短かかったし、ジョーイも楽屋にいる時といない時があってメンバーに接触する時間があまりなかった・・・。あ、でも楽屋で一緒に写真は撮っているから、ショウが始まる前に楽屋には行ってるか。あまり覚えていないんだけど、とにかく緊張というよりもメンバーと会えたことや前座が嬉しくて楽しかった思いがあるなぁ。

●95年の来日の最終日後に、大阪のハードロック・カフェでパーティーがありナイフのみんなはジョーイの横に座っていましたが、どんなことを話たのか、さしつかえなければ教えてください。

── Naoko:私はジョーイと同じテーブルの席に座っていて、ジョニーとCJは別のテーブルに座っていたから、まずは挨拶に行ってジョニー達のサインをもらって、そのあとジョーイは私達が前座のショウで演奏した「アイ・ウォナ・ビー・シディテッド」と「スージー・イズ・ア・ヘッドバンガー」のカバーが「俺たちの演奏よりイイよ」と紳士的に話してくれたのが印象的だったなぁ。

●ここでファン・クラブ・メンバーからの質問をひとつ。「ライブ中に時々ラモーンズのカバーをやりますが、ラモーンズの曲で、どうしてもカバーしたくて挑戦したけど難しかった曲があれば教えてください」

── Naoko:挑戦してやってみたのはだいたい出来たから難しかったのはないよ。97年頃オリジナル・メンバーで大阪ラモーンズというバンドを組んで東京で1回ライブをやってるんだけど、その時にもさっきの2曲にさらに足して8曲くらい演奏してみたんだけど、すんなり出来たよ。

●大阪ラモーンズをまたやる予定はないの?

── Naoko:それが、実はマーキーの知り合いでもあるオオサカ・ホップ・スターの人からメールが来て「オオサカというのをバンド名につけるアイディアは自分達のもの」みたいなことを言われてしまい、嫌な気分になったからそれ以来やってない。

●え? 何それ? 大阪ラモーンズの方がデビューが先なのに、しかも生粋の大阪人を前にして随分無茶なことを言ってきましたね。ラモーンズが好きでカバーしているだけのバンドに。(しばし怒り口調が続く)。さて、話を変えましょう。アルバム『fun!fun!fun!』に収録されている曲「ラモーンズ・フォーエバー」を書こうと思ったきっかけを教えてください。

── Naoko:それはやっぱりメンバーが次々と亡くなったことかな。人は亡くなっても音楽は残るから、何かリスペクトの形を音楽で残したくて。以前ジョージ・ハリスンが亡くなった時にもジョージとインド音楽の関係を表した「マンゴー・ジュース」という曲を書いたんだけど、やっぱり誰かがなくなると悲しいからありがとうの意味も込めて曲を捧げました。

●リスペクトしていた人が亡くなっての心境は私も理解できます。ところで昨年末にアメリカ・ツアーをしていましたが、アメリカのインターネットのインタビュー記事で、ラモーンズと比べられたりして、名前が出てくることが多いようですが、比べられることに対してどう思いますか?

── Naoko:実際にバンドの音もラモーンズの影響を受けているし、私も好きだしいいと思う。昔からロネッツやラモーンズと形容されることが多かったから、今もそのまんまという感じでアメリカでの取材はわりとよく比較されているよ。それと、この間のアメリカ・ツアー(07年末)では、日本のショウでもやってきた「ラモーンズ・フォーエバー」をやったので、ナイフがラモーンズを好きだということも更に歌で伝わったと思う。でも実はアメリカでは『fun!fun!fun!』はまだリリースされていないので、お客さんは本当はこの曲の存在を知らないんだけど、アメリカでラモーンズを知らない人はいないから、「ラモーンズに捧げる曲をやります」と言ってやると凄く盛り上がるよね、やっぱり。

●日本のコンサートも何度か見に行ってるけど、日本でのナイフのファンはMCで「ラモーンズの曲です」と言っても反応が鈍い気がするんだけど、日本ではナイフのファンは洋楽ファンではないのかな?

── Naoko:そう。洋楽聴いている人は少ないみたいで説明しないと洋楽バンドのカバー曲はわからないような雰囲気だから、邦楽ファンが多いかな。

●でも、ナイフが歌うことでまたラモーンズの名前が少しでも知られるのはFCとしては嬉しいです。さて、2004年にラモーンズの映画『END OF THE CENTURY』と昨年『TOO TOUGH TO DIE』が公開されましたがご覧になりましたか? 見た感想は?

── Naoko:うーーん、こんな裏があったんだなと思った。ラモーンズってジョーイがバンドのリーダーかと思っていたら、ジョニーがリーダーというか鬼軍曹だったんだと。でもジョニーを見ながらちょっと自分と似てるかもと思ったりもして・・・。

●あら(笑)。どんなところが自分と似ていると?

── Naoko:マイ・ペンを持っているところ(笑)。

●マイ・ペン持ってるの?(笑)

── Naoko:そう。持っててナイフの場合はライブ終了後に物販のところで必ずサイン会をやるから、そんなところが似ているなぁと。そのほかもバンド運営上いっぱい共通点があってびっくりした。

●バンドのリーダーとしてというか、鬼軍曹の立場は理解できる?と(笑)。

── Naoko:うん。納得できる(笑)。共感できるなぁ。

●なるほどです。なぜかというとミュージシャンでバンドのリーダーは必ずバンドには鬼軍曹は必要だと言うんだよね。じゃあ、他のメンバーには実は厳しい感じなの?

── Naoko:いや、そこは違うかなぁ。むしろ私自身に厳しくしないとという感じで、ドラムのえっちゃん(Etsuko)なんか私より練習して頑張ってくれてて、私の方が助けられてる感じだし(笑)。でも、ファンに対する気持ちとかバンドに対する考え方は似ているなぁと思うところはある。

●ジョニー的考え方で行くと、Atsukoさんが辞めた時に、少年ナイフに幕を閉じようとは思いませんでしたか?

── Naoko:いや、それは全然考えたことないなぁ。

●では、少年ナイフの中のジョーイって誰になるの? Atsukoさん? ほのぼのオーラかもしだしているし(笑)。

── Naoko:Atsukoかも。のんびりしてるから(笑)。でも、メンバーの彼氏を取るとか取らないとかはないけどね(笑)。

●それはできれば避けたいトラブルです(笑)。バンド結成から26年の少年ナイフも、ラモーンズのように、いつか引退する日を考えていたりしますか?

── Naoko:ラモーンズみたいに一年中ツアーしてへとへとみたいな活動だったら、引退もあるのかもしれないけど、ナイフの場合は半年に一度くらいツアーをやるペースでそこを頑張ればいいので、そんなに無理はしてないから、別に引退しなくても大丈夫みたいな感じかな?(笑)

●なるほど。体力的な限界はOKとして、Naokoさんが少年ナイフを続ける気持ちの上での原動力は?

── Naoko:それはお客さんかな。見に来てくれているお客さんが「おもしろい」とか「楽しい」とか言ってくれると、もっと喜ばしてやろうかなって思うから。

●「お客さんのため」って、言うのは簡単だけどそのためにやり続けるのは大変ですよね。バンドを維持していくのが大変だというのは映画『END OF〜』でも描かれている通りだし、しかもガールズ・バンドで長く続けていけてるバンドって殆どいないというのにも理由がある。それこそ「少年ナイフ・フォーエバー」って曲が生まれてもいいと思うけど。

── Naoko:ガールズ・バンドの場合というか女性の場合は、結婚や出産でバンドを続けられないということとかいろんな問題があるからね。

●と、言いながらも続けているから凄いと思います。長く続けている多くのバンドが体力維持をあげますが、Naokoさんも何かしていますか?

── Naoko:2000年からテニスをスタートし、かなり体力が前よりもアップしたよ。テニスも4時間ぶっ続けでやってもまだやりたいと思ってるし。

●それ、凄い。Naokoさん頑張り屋なんですね。

── Naoko:いや、いくらやっても素質がないからぜんぜんだめ。

●そうは言いつつもきっと一生懸命練習しているんだろうなと思います、だからバンドも頑張れるのでは?

── Naoko:バンドは競争じゃなくて自分の好きなことを自分なりに表現すればいいからずっとやっていられるんだと思う。自分で満足できればいいのだし。

●なるほど。だとすると、ジョニーのような終わりのリミットを決めて「ラモーンズはこれでもう終わり」というような終わらせ方のチョイスは理解できない感じ?

── Naoko:いや、その部分は理解できるなぁ、だって彼は成功しているから。そう決めることもありだと思う。奥さんもセレブになったし。お金も沢山手にすることができれば、そのチョイスもありなんだろうと思うけど、ナイフは成功してないからまだだわ(笑)。

●少年ナイフも充分成功を手にしてると思いますけど。ジョニーは引退してギターもさっさと売り払っちゃったけど、ギターを触っているのとか曲を作るのは好きですか?

── Naoko:そうだなぁ、そこらへんは好きだけど、私歌詞を書くのが苦手かも。特にいつまでにみたいな締め切りがあるとかなり焦っちゃうし。

●歌詞が苦手? ホント? 少年ナイフの歌詞のオリジナリティや世界観てすごいとずっと思っているんだけど。そう言われたことあるでしょう?

── Naoko:変わってますね!とは言われたことあるけど、凄いとか言われたこと・・・あったかなぁ(笑)。

●少年ナイフの歌詞って独特ですよね。普通の言葉を切り取ってオリジナルにしているというか。世代が近い人たちには言葉に親近感もあると思うし。例えば「バナナ・チップスが美味しい」っていう感覚は、バナナ・チップスの存在にたどりつかないとわからないからお菓子好きには普通でも意外と気づかない。スパムが迷惑で困るという日常を普通にきりとって歌詞にしちゃう天才だと思いますね、ホント。普通のことこそ見落としてしまうのに、言葉として歌詞になると生きちゃうみたいな。

── Naoko:ははは。他のミュージシャンはみんなロマンチックな歌詞とか書けるからいいなぁと思っているんだけど、私にはロマンがないからねぇ。

●これは私個人からの質問ですけど、もしも大阪でラモーンズのフォト・セッションをやらせるとしたらどこがいいですか?

── Naoko:そうだなぁ、あのルックスのままでしょう? 通天閣の前がいいかな(笑)。ラモーンズのイメージは街の中で、ごちゃごちゃしていて、ポップ性があるところがいいから通天閣で。

●ぴったりかもー(笑)。観光につれていくとしたら?

── Naoko:住吉大社(笑)。初詣や夏祭りに行く、大きくて有名な神社。

●ラモーンズのアルバムもしくは曲で一番好きなのは? 今でもラモーンズを聞いていますか?

── Naoko:「アイ・ウォナ・ビー・シディテッド」。家でも時々聴いてます。今はちょっと70年代メタルに傾いてるけど(笑)。

★★

 『fun!fun!fun!』
  1.重力無重力
  2.Barnacle(ふじつぼ)
  3.Flu(インフルエンザ)
  4.Ramones Forever
  5.Las Vegas
  6.Birthday
  7.ポップコーン
  8.クッキーたべたい
  9.みなみのしま
  10.おやすみ
  
PCD-25056 ¥2,625 (tax incl.)

■■今後のスケジュール■■
現在、新作のレコーディング中。秋頃にリリースの予定!
その他のライブ予定やニュースはこちらのオフィシャル・サイトをご覧ください。

★少年ナイフ・オフィシャルサイト★

インタビュー / FCスタッフ:カイチョー・ユキ(yuki kuroyanagi)
取材場所 / 東京・渋谷にて(2008年7月)
写真 / Sumie  Live写真 / yuki kuroyana
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テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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