元スペイン・ラモーンズ・ファン・クラブの会長で、現在スージー・アンド・ロス・クアトロのベーシストとして活躍中のB.B. Quattro。自分がミュージシャンとして今想うラモーンズのこと。15歳でファン・クラブをスタートし、会長として奮闘していた当時の思い出などをたっぷり熱く語ってくれました。ファンの想いや考え方は、国は違ってもみんな一緒ということを実感できるインタビューです。

●最初にラモーンズの曲を聴いたのはいつですか?


── B.B.:10才の頃かな。両親が外出する時の僕の子守り役だったいとこがラモーンズのファンだったんだ。初めて聞いた曲は『イッツ・アライブ』の中の「ティーンエイジ・ロボトミー」。「これ何?かっこいい!」 って思って、すごく印象的だったよ。その後しばらくラモーンズを聴くことはなかったけれど、14歳で高校に入学すると学校でラモーンズのTシャツを着ているヤツに逢ったんだ。いとこの影響があったからそのロゴに気が付いてすぐに話しかけたよ。「ヘイ!このバンド知ってるよ。」って。それからすぐ彼と友達になっていろいろ話すようになり、ラモーンズのアルバムを全部買って、一緒にバンドを組んだんだ。それがラモーンズと関わるようになったきっかけさ。

●10才で初めて聴いた時の印象は?

── B.B.:まさしく僕が聴きたかった音楽だと思ったよ。ラモーンズの音楽は若者のハートに響くよね。僕は小さな頃からずっとロックが大好きだったから。特に、速くて、メロディックでキャッチーな音楽がね。たくさんお気に入りのバンドはあったけど、「全ての曲が好き」っていうバンドはなかった。でもラモーンズに関しては全部好き。ライブの歌も、歌詞も、彼らのユーモアも全てが僕好みだったんだ。

●ラモーンズ以外ではどんなバンドが好きだったの?

── B.B.:50年代のロックンロールから、バディ・ホリーや ビートルズ。音楽好きの両親の影響もあって、周りにはいつも良い音楽があったよ。特に50年代、60年代のポップやロックをよく聞いていたよ。

●今、何才?

── B.B.:31才。

●若いね。

── B.B.:僕が?ありがとう。(笑)

●スペインでラモーンズのファンクラブを始めたのはいつ頃ですか?

── B.B.:15才の時だから・・・16年前になるね。

●ずいぶん若いときに始めたのね。あなたが会長だったの?

── B.B.:そう、たった一人で始めたんだ。スタッフもヘルプもなし。全て1人で。ファンクラブの運営はもちろん、インターターネットもない時代だったから郵送手続きも自分でして。記事を書いて会報を作ったり、ラジオ局に電話したり、ロック雑誌に広告出していたんだ。当時のことで忘れられない出来事があるよ。ファンクラブを立ち上げたばかりの頃、スペインで有名なラジオ局に電話をかけたら、急にラジオの生放送に出演することになったんだ。そこでラモーンズのファンクラブについて語って、ファンクラブの住所を案内したんだ。するとその2日後の朝、郵便配達の人が「余りに手紙が多くて郵便箱に入りません。」って200通の手紙を持って自宅のドアをノックしたんだよ。ドアを開けた親父はびっくり(笑)。僕が午後になって学校から帰ると、親父が「これ全部お前宛だよ。」って200通もの手紙を渡してくれて。それから手紙を全部開けて分類するのも一緒に手伝ってくれたんだ。親父は半年前に亡くなってしまったけど、あの時僕のことをとっても自慢に思ってくれたし、今でもすごくいい思い出なんだ。

●自宅が事務所ってこと?

── B.B.:そう。今でもね(笑)。今も両親の家には当時使っていた住所のスタンプがあるよ。

●スペインのどこに住んでいるの?

── B.B.:バルセロナ。

●会員は何人くらい?

── B.B.:一番多い時で580人。1991年から1993年くらいのことだと思う。

●CJが加わった頃だよね。

── B.B.:そう。ラモーンズのライブを始めて観た時はもうCJがメンバーだったよ。『ロコ・ライブ』が録音されたステージではないけど、その2年後に同じ内容で行われたライブだった。

●1993年頃だよね。

── B.B.:たぶん1993年だと思う。余り正確に覚えていないけど。

●それまでスペインにはファンクラブは存在しなかったの?

── B.B.:ああ、僕が最初のファンクラブを作ったんだ。

●ラモーンズの情報はどうやって収集していたの?

── B.B.:ラモーンズのことが大好きだったから、まずドイツのファンクラブのヨーク・ブッシャーにコンタクトしたんだ。ヨーク知ってる?

●ヨークは知らないな。私が知っているのはフローリアン。ラモーンズ・ミュージアムのオーナーの。

── B.B.:フローリアンはベルリンだよね。

●うん。

── B.B.:僕は最初、ベルリンではなくてドゥッセルドルフのファンクラブのヨークにコンタクトしたんだ。彼は小さな会報を作っていて、ラモーンズがヨーロッパツアーをする時も、必ず一緒に付いていっていたよ。「ラウド マウス」っていう会社のショー・プロモーターで、ドイツのファンクラブを運営していたんだ。そのヨークがイギリスのブリストルでファンクラブを運営している女の子を紹介してくれたんだ。今度は彼女がイタリアのファンクラブのパオロやヘンドリックスを紹介してくれた。彼らが最初の情報源だったんだ。まずみんなに手紙を送ったら、それぞれのファンクラブ会報を送ってくれたんだ。それを見て、当時僕はまだ14、5才だったけど、スペインでファンクラブを運営するのならやはり会報を発行しなくちゃって思ったんだ。それでロック雑誌から写真を切り抜いて集めたり、ラモーンズの魅力について自分で記事を書いたりしたんだ。当時の会報は今僕の手元には残っていないけど、昨日母親に電話をしたら実家にあるっていうから、帰国後コピーを送るね。自分で記事を書いていたんだけど、すごく頑張って作ったんだよ。コンピューターにうとかったから全部タイプライターで打って、コピー機でコピーして、切手を貼って、全部1人での手作業だったよ(笑)。第1号は50部だけだった。でもラジオ番組に出てからは300部以上作ったから大変だったよ。

●全部1人だけでやってたの?

── B.B.:ぜーんぶ1人で。

●すごい!

── B.B.:だいぶ経ってからは、他の人に記事を依頼したりしたけど、それまでは1人で。

●会報は何号くらい出したの?

── B.B.:3〜4年の間に7号くらいまで出したかな。でも僕がやっていたのは会報作りだけじゃないよ。ニューヨーク在住でラモーンズのプレスをしていたアイダに紹介されてから、彼女が2〜3ヶ月ごとにラモーンズのニュースをファックスで送ってくれるようになったので、それを基にニュースレターを作ってファンに送付したりもしたんだ。

●すごくいいことだよね。

── B.B.:14、5才のころは本当にラモーンズに夢中だったから。女の子じゃなくてラモーンズと恋に落ちたような感じだったよ。ラモーンズが僕の最初のガールフレンドみたいなものさ(笑)。ヘッドフォンで彼らの音楽を聴きながら、「絶対いつか本人たちに会わなくちゃ!」って思い続けていたんだ。彼らに会うにはファンクラブが正式なものに見えなくちゃ、と思ってファンクラブの住所のスタンプを作ったりしたよ。今、当時のことを思い返すと、あのラモーンズへの情熱とファンクラブの活動は、現在僕が音楽業界で仕事をすることになった原点だったなって思えるんだ。音楽業界との最初の接点がラモーンズのファンクラブの仕事だったんだ。15年後にこうしてロックミュージシャンとして働いていることも、ラモーンズが僕に仕事を与えてくれたって思うよ。

●ベーシスト以外の仕事はどんなことをしているの?

── B.B.:スペインでは、ミュージシャンとしての仕事以外に、マネージメントの仕事もしているよ。他のパンクやパワーロック、ポップロックバンドなど数多くのバンドのマネージメントを請け負っているんだ。それからスペインに来る外国人アーティストのツアーのアレンジもしている。今回の自分たちのツアーが終わった後は、LAの有名なバンド、アドレッセンツのロードマネージャーをする予定。バンドに随行して通訳やセットアップをする仕事だよ。あと、家族が経営しているギフトショップでも働いている。もちろん店ではラモーンズのグッズも売ってるよ。

●3つの仕事をしているってこと?

── B.B.:ああ、いろんな仕事をしているよ。3年前にはロックバーでも働いていたんだ。でも1日18時間働くのは大変だったからその仕事は辞めたよ。

●イタリアの「ロッカウェイ・バー」には行ったことがある?

── B.B.:ないな。

●ヘンリーが経営しているバーだよ。

── B.B.:ヘンリーがまだ経営しているの?

●うん、頑張っているみたい。次の質問!ラモーンズのメンバーと初めて会ったのはいつ?

── B.B.:初めて彼らに会ったのはオビエド(スペイン北部の都市)で。『アシッド・イーターズ』のツアーの時だった。初めて行ったライブはその2年前、バルセロナで 確か『モンド・ビザーロ(狂った世界)』のリリースツアーだったけど、メンバーに会ったのはその2年後。『アシッド・イーターズ』のスペイン公演はオビエドだけだったんだ。親父がバルセロナから10時間も運転してくれたよ。その時はファンクラブを立ち上げてから既に2年たっていたから、ラモーンズ関係者に知り合いがたくさんできていたんだ。その内の1人、友人のヨーク・ブッシャーが、ラモーンズがロンドンからオビエドにやってくる前に、ツアーマネージャーのモンテ・メルニックに連絡をしてくれていたんだ。「スペインのファンクラブのジョナサン(注:B.B.の本名)ていうやつがオビエドの公演に来るから、ゲスト・リストに名前を加えておいてくれ。」って。僕がラモーンズの到着をオビエドのホテルで待っていると、メンバーに続いて到着したモンテが「君がジョナサン?」って聞いたんだ。緊張しながら「そうです。」って答えたら、ローカル・プロモーターに向かってモンテが、「この子は、ジョナサン。スペインのファンクラブの代表だからバックステージパスでも何でも彼が必要なものは全て渡してやってくれ」って言ってくれたんだ。とっても有り難かったよ。お陰でコンサート会場に開演2時間前に行ったら、ローカル・プロモーターが「メンバーはここにはいないよ。バックステージに来るかい?」って声をかけてくれたんだ。それから2時間、僕はCJとバックステージで一緒だったんだ。いろいろ話しをして、インタビューも終わったから戻ろうとしたら、「そのままそこにいて」って言われて。ジョニーのモズライトを弾かせてもらったり、こっそり革ジャンを着てみたり(笑)。彼はすっごくいい人だったよ。

●ジョニーはいなかったの?

── B.B.:面白い話があるんだ。その後、他のメンバーがバックステージに戻ってきたんだ。マーキーはとってもフレンドリーに。続いて ジョニーが入ってきたけど CJ にむかって 「早くステージに出ろ。」って言ったんだ。ステージが終わってもう一度バックステージに行ったんだけど、ジョニーが戻ってきた時は今度こそ追い出されるかと思って、怖くてドキドキしたよ(笑)。でもびっくりしたことにジョニーは僕に「ファンクラブを運営してくれてありがとう。」って言ってくれたんだ。とっても優しかった。素晴らしい経験だったよ。

●ユキはジョニーと長い間文通をして、彼をよく知っているの(by atsuko katagiri)。

── B.B.:ラッキーだね。ジョニーはラモーンズのリーダーだよね。

●ジョニーはいつもファンクラブを大事にしてくれていたでしょ?

── B.B.:ああ、そうだね。僕もとっても感謝しているよ。自分が今ミュージシャンとして、ラモーンズ程でないにしてもいろいろな国を旅するようになって、彼らの気持ちがよくわかるんだ。毎日長い移動時間があってどんなに疲れるか。時にはどうしても不機嫌な時があるよ。でもジョニーから学んだんだ。ファンをリスペクトして大事にしなくてはいけないって。ファンがあっての音楽活動なんだと。どんなに疲れていても、それは自分の問題であってファンのせいではない。

●とってもプロフェッショナルな考え方だよね。

── B.B.:ファンだけでなくて、一緒に演奏してくれる他のバンドや演奏場所を提供してくれるオーナーなど、自分のために働いてくれている人たちをリスペクトしなければいけないっていうことは、ジョニーから学んだことだよ。彼はとってもプロフェッショナルだったから。

●4人の中で誰が好きですか?

── B.B.:難しい質問だな…。もちろん、まずはジョーイ。僕自身ポップが大好きだから。ジョニーとディーディーはもっとファンキーだろ。ジョーイはラモーンズのポップな面の中心だよね。音楽的な指向は一番ジョーイに近いよ。でも仕事の面を考えると、自分はマネージャーという立場だからジョニーに共感することが多いんだ。ジョニーがいたからこそラモーンズは長い間活動を続けてこられたと思うんだ。 もしジョニーがいなかったら、他のメンバーはもっとクレージーになって大変だっただろうな、って思うよ。きっとカオスだよ。ジョニーはクールな表情でバンドを支配していただろ。僕の立場も同じさ。バンドのメンバーは多分、僕のことを好きだと思うよ。何かあるごとに「OK、ボス。OK、ボス。」って言って頼ってくれるんだ。

●(笑)。スパニッシュ・ツアーでラモーンズがオフの時はどんなことをしていたか知ってる?

 
── B.B.:ジョーイはいつもホテルでプールを探していたよ。1999年頃からジョーイは酒を止めたよね。その頃から彼はヘルシーな食事をして、いつも健康に気をつかった生活をしていたよ。宿泊先のホテルには必ずプールがあることが条件で、毎朝バンドの活動の前に泳いでいたらしいよ。実際に泳いでいるところを見たわけではないけど、モンテがそう話していた。

●あなた自身はツアーに同行しなかったの?

── B.B.:まだ若かったからできなかったんだ。15、6才だったからね。彼らのパフォーマンスを最後に見たのは、ロンドンのアストリアのステージ。その頃にはみんなと顔見知りになっていたから、会場の外でスタッフに会っても声をかけられたりしてとても楽しかったよ。

●ラモーンズはスペインで、テレビ出演したり、雑誌の表紙を飾ったりしていましたか?

── B.B.:ああ。ラモーンズはスペインでとってもビックな存在だったから。アルゼンチンほどの人気ではなかったけど、ステージにはいつも3000人から4000人集まっていたよ。僕が始めてラモーンズを観たバルセロナのライブ会場は2600人収容の会場で、火曜、水曜という平日連続公演にもかかわらず、2夜ともに完全にチケットは売り切れだった。オビエドの公演も、どしゃ降りの雨の中の屋外ライブだったのに4〜5000人集まって満員だった。とってもビッグな存在だったから、彼らがツアーでスペインに来る時は、雑誌で大きく特集されたし、テレビでもたくさんニュースが流れたよ。



●その頃の記事は全て集めていたの?

── B.B.:ああ。たくさん集めたけど、アパートを引っ越した際にだいぶなくしてしまったよ。僕は仕事はしっかり管理しているけど、私生活はそうではないから(笑)。 

●じゃあ、当時の資料でラモーンズ博物館を開くのは無理ね(笑)。

── B.B.:無理だと思うよ。開いたとしても2週間で閉館だね(笑)。

●何か集めているものはある?何かの収集家だったりしない?

── B.B.:いやー、忙しいんでね…。でも楽器は集めてるよ。ベースはもちろんギターも弾くから。

●ジョニー・ラモーンズのモズライトは持ってる?

── B.B.:土曜日に東京の楽器店で見たんだ。すごく安かったよ。180,000円くらいだった。白黒のモズライト・ベンチャーズモデル。でもまだ買ってないんだ。同じような白黒のベースを買ったんで、1度に2つ以上の楽器を買って持ち帰ることはできないんだよ(笑)。あのギターを買うために日本に戻ってこなくちゃね。プロのコレクターではないけど、楽器はたくさん持っているよ。ベース・ギターを7本、アコースティック・ギターを4本、エレキ・ギター6本、それからラディックのドラム・セットも。楽器は僕のファッションなんだ。

●何年くらいバンドで演奏してるの?

── B.B.:スージー&ロス・クアトロは2001年後半から始めたから、7年かな。でもその前からバンド活動はしていたよ。さっき話したけど、15才の時にラモーンズのTシャツを着た友達と始めたバンドが最初さ。

●映画 『エンド・オブ・センチュリー』は観た?当時から映画『エンド・オブ・センチュリー』に描かれていること(KKKの逸話や二人の関係)は知っていましたか?

── B.B.:ああ、当時から知っていたよ。

●どういう経由で彼らの内情を知ったの?

── B.B.:よく覚えてないけど。ヨーク・ブッシャーだと思うな。彼はモンテと親しかったから。

●話しを聞いてどう思った?ショックだった?

── B.B.:僕は理解できたよ。音楽業界に入る前に大学で心理学を専攻していたからね。ジョーイは傷つきやすい性格だし、ジョーイの彼女がジョニーと一緒になったことで深く傷ついたことは理解できるよ。でもよくある話だよ。日本ではどうかはわからないけど、スペインではよくあることだよ。好きでデートもしていた女の子が、気付くと友達と恋人関係になっていた、なんて話はね。どうしようもないけど起こりうることだよ。そんな出来事があったら落ち込むだろうけど、普通は2、3年経てば立ち直れることだと思う。でもジョーイはジョニーを結局最後まで許せなかった。それはジョーイが被害者意識が強かったからだと思うな。15年経ってもジョーイはジョニーを許すことが出来なかった。だから彼らの関係もこじれたままだったんだろう。すごく残念なことだよね。ジョーイには同情するよ。何年もの間、精神的につらくて、本当に苦しんだと思う。でも、ジョニーが自分の元彼女と結婚したことがどんなにショックだとしても、3年も経ったら自分に気持ちの無い女性と一緒にいても意味がないことに気がつかなくては。前に進んでいかなくちゃ。でもまあ、ジョーイはいろんな意味で特別な人間だから。 素晴らしい人だと思うけどジョーイみたいに傷つきやすい人と一緒に仕事をするのは難しいだろうなと思うよ。そういった人間関係が理解できるから、僕としてその話はショックではなかったよ。

●でもほとんどの人は、彼らが個人的に揉めた後も一緒に活動していたことを理解できないでいたと思うけど。

── B.B.: だって彼らは活動し続けるしかなかったと思うよ。ジョニーは「ジョーイがバンドに必要だ。」ってことをわかっていたからね。ジョーイ抜きのラモーズなんて考えられないだろう。マーキーがいなくても大丈夫。ディーディーが抜けても何とかなった、多分ね。たとえジョーイの態度や考え方が気に入らなくても、彼が必要だってことを、ジョニーはわかっていたんだ。僕の個人的な考えだけど、彼らは心の奥深くではお互いのことをとても愛していたと思う。似たような経験は僕にもあるよ。僕らのバンドは7年一緒に活動していろんな国を旅しているけど、やはり時には喧嘩もするよ。ツアーはすごく疲れることだし、13時間も車に閉じ込められて移動するような状況の中で、メンバーの誰かが自分の気に入らないことを言ったとしたら、喧嘩が始まるよ。兄弟喧嘩みたいなものさ。僕はバンドメンバーのことを愛しているし、みんなも僕のことを好きだと思うよ。でも毎週小さな喧嘩は起こっている。ラモーンズが21年の間に2000回以上ものライブをしてきたことを思えば、日々の喧嘩なんて普通のことだよ。彼らが喧嘩をしても尚一緒にいたことに対しては全然驚かない。だって彼らはお互いに必要だったんだから。

●うーん、なるほど…。ライブでラモーンズ・ソングをカバーをしたことはありますか?

── B.B.:ああ、何度もね。

●どんな曲をカバーしたの?

── B.B.:スージー&ロス・クアトロでは音楽的にラモーンズの曲はあまりしないんだ。でも『アイ・ニード・ユア・ラブ』はカバーしたよ。2005年に来日した前回のツアーでは そのカバーを埼玉県のサウンドクルースタジオで録音したんだ。「せいちゃん」と呼ばれていたギタリストがプロデュースして『アイ・ニード・ユア・ラブ』を含むカバー4曲を録音したけどリリースにはいたらなかったんだ。あのツアーの後にメンバーが入れ替わったので、今となっては現メンバー以外で録音したものはもう発売することはないと思うよ。でももし興味があるなら送るよ。多分PCに入っていると思うから今晩さっそく送るよ。

●他のメンバーと話したり取材をしたことはある?

── B.B.:この間トミーをインタビューしたよ。マネージャーのモンテがトミー・ラモーンズの電話番号をくれたおかげで、念願かなってインタビューができたんだ。とても楽しかったし、面白い記事を書けたよ。彼らとは毎週連絡を取るような関係ではないけど、今でも必要な時にはコンタクトできるんだ。

●マーキーに関してはどう? 彼は今でも精力的にツアーをしているけれど…。

── B.B.:マーキーは4〜5ヶ月に一度はスペインに来ているよ。彼のスペインでのマネージャーも知っている。

●映画『ロックンロール・ハイスクール』の主人公みたいにラモーンズに曲を提供するとしたら、自分のバンドのどの曲を提供しますか?

── B.B.:映画の中の主人公は高校生活を楽しんでいたから、夢や希望にあふれた高校のことを歌っていたよね。でももし僕だったら、もっと複雑な曲になると思う。だって現代の人は、全員が夢がかなう、とは思っていないよね。勉強して、仕事をして、それでも全ての人が人生で成功できるわけではないだろう。でも僕は夢見るだけではなかった。ずっと音楽家になると思って行動してきた。周りの人を気にしないで自分の信じる道を進む。そんなことを歌にしてみたいよ。自分自身を生きることが人生に成功することだって。わかるかな。質問の答えになってる?

●はい。よくわかりますよ(笑)。では一番好きなアルバムと好きな曲を教えてください。

── B.B.:すごく難しい質問だけど、僕自身、同じ質問を他の人にいつもしてきたから答えは用意してあるよ。一番好きなアルバムは『プレザント・ドリームス』。僕のハートはいつもポップだからね。ジョニーがあのアルバムのプロデューサーを嫌っていたことは知っているし、『エンド・オブ・ザ・センチュリー』もまたポップなアルバムだってことわかってるよ。でも僕個人としては『プレザント・ドリームス』に収録された曲全てが好きなんだ。グラハム・グールドマンのバックボーカルもいいし、コーラスのハーモニーもいい。メンバーがニューヨークで録音して、ジョーイとグラハムがロンドンでボーカル・パートを録音したことも印象的だ。『プレザント・ドリームス』を聞くと、グラハム・グールドマンのプロデュースでジョーイのリードボーカルがすごくスイートに仕上がっているのがわかるんだ。一番お気に入りの歌も、『プレザント・ドリームス』に収録された「シーズ・ア・センセーション」だよ。あっ、話し忘れたことがある。スージー&ロス・クアトロの前にアコースティック・バンドを組んでいたことがあるんだ。その時一度だけラモーンズのコントリビュート・アルバムを作ったんだ。500枚だけだったけど。そのアルバムでは、ノルウェーのバンドやドイツのギタリスト「アイ・ウォナ・ビー・ユア・ボーイフレンド」や「シーズ・ア・センセーション」 をカバーして、僕たちも同じ曲をアコースティック・ギター とバイオリンで演奏したんだ。これも後で送るね。一枚だけまだ残ってると思うんだ。君たち、とってもいい人だからその一枚を送るよ。(笑)

●ありがとう。今日は話していて凄く楽しいよ!

── B.B.:ぼくも楽しいよ。お互いにラモーンズの大ファンだからね。人種も話す言葉も違うけど、僕たちが何を好きかっていうのは的確に理解し合えるよね。

●もっと早く知り合いたかったね。

── B.B.:ああ。実は僕の手元に日本語のファンクラブ会報があるんだ。ヨーク・ブッシャーが送ってくれたんだけど。それって君が書いたのかなあ。ハスカ・ドゥーのインタビュー記事があったんだけど。

●えー!それ、たぶん私が友達と作ってたフリーペーパー。ずいぶん昔のことだけど(by atsuko katagiri)。

── B.B.:今も家にあるよ。それからスージーの妹のローサは知ってる?彼女を通じて君たちのことは知っていたよ。友達も「日本に行くならラモーンズのファンクラブに連絡するといいよ。」って教えてくれたし。

●知ってる知ってる!アートゥロ・ヴェガつながり!そいえば、去年の10月、ラモーンズ・ミュージアムのリオープン時はベルリンには行けなかったの?

── B.B.:忙しくて。ツアーの移動の合間に公演があって、週末はスタジオ録音をしているから。

●そっか。では、最後の質問です。ラモーンズから最も影響を受けたと思うことは何ですか?ライブやパフォーマンス、スタイル、いろいろあると思うけど。

── B.B.:スタイルだと思う。多くの人が彼らのスタイルに影響を受けていると思うよ。彼らはシンプルな曲をシンプルに演奏したことで、プロのミュージシャンとして成功した。ラモーンズを聞いて「これなら僕も出来る」と思って自分でバンドを作ったんだ。学校で論理的に音楽を勉強をするのは好きではなかったよ。ラモーンズのアルバムを聞いてコピーして演奏することで音楽を実践してきた。学校に行けば先生から「理論や方法論を学ばなくては良い音楽を作れない。」って言われ続けていた。でもラモーンズは教えてくれたよ。「ミュージシャンになるのに自分がジミー・ヘンドリックスみたくなる必要はないんだ。」「ただ演奏してみろよ。」ってことを。僕自身、ベースがものすごく上手いわけではないし、素晴らしいソング・ライターだとも思っていない。でもこうしてプロになって毎年アルバムもリリースして、日本に来て演奏もしている。もっと上手なやつは地元にもいたけど、ミュージシャンとして成功したのは僕の方だ。必要なのは前に進み続けること。心配ばかりしていてもしょうがないよ。人生を無駄にしないように試してみなくちゃ。15年前は誰も僕が成功するなんて思っていなかったよ。でもこうして僕はここにいる。簡単なことだよ。ただ楽しみながら進んできた。今ここにいられることをとても幸せだと思っているよ。

●かっこいいね。ほんとに今日は会えてよかった。

── B.B.:僕もだよ。こんな風にラモーンズのことを話すのは本当に久しぶり。君たちはジョニーやジョーイのことをよく知っているからね。こんなに真剣にラモーンズのことを好きな人ってそんなにたくさんはいないよね。でも僕は本当にラモーンズのことを話すのが好きなんだ。こんな風に話すのは何年ぶりだろう。まるで15才に戻ったような気分だよ(笑)。

●ありがとう。またラモーンズについて話したいね。

── B.B.:ああ。また日本に帰ってこなくてはね(笑)。

★★


Latest Album『Stick With It』
(2008/06 Release / Wild Punk Records )
Suzy & Los Quattro Official Myspace

インタビュー / FCスタッフ:カイチョー・ユキ& atsuko katagiri
取材場所 / 埼玉・西川口にて(2008年12月)
写真 / Sylvia Sans(Studio Photo), Yuki Kuroyanagi(Interview Photo)
翻訳 / 横山 多佳子
協力 / Mr.OSM (Onepersentre)


テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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