昨年秋に開催された、ファン・クラブのイベント『亀戸の激情』で、「1-2-3-4!」のカウントをとったベーシスト原直央(はらなおう)君。ASPARAGUS以前に活動していたSHORT CIRCUIT時代に、ラモーンズのトリビュート盤をリリースするほど、知る人ぞ知るマニアだ。1990年の来日公演体験から現在まで、ラモーンズが彼に与えた影響は予想以上に大きく、スタイル、音、ビジュアルそして楽器としてのベースに至るまで、ラモーンズを熟考した上での発言は、随所にラモーンズ、特にジョーイへのリスペクトを感じられ思いは深い。ミュージシャンでありながら、ファンの視点で熱くラモーンズを語る様子は、最後まで音楽を一ファンとして楽しんでいたジョーイとかぶる。そんな自然体のラモーンズ・ファン(マニア!)のインタビューです。

●まずは昨年の11月のFCイベント『亀戸の激情』への出演、ありがとうこざいました。イベントはどうでしたか?


──いやぁ、もう凄く楽しかったですよ。まさに文化祭みたいな感じで。

●いきなりあのメンバー(Vo-RYOJI/ex-potshot、RYOJI & THE LAST CHORDS、G-マーティ・フリードマン/ex-Megadeth、Ds-RYO/COCOBAT)でゲリラ・セッション。実際に演奏してみてどうだった?

──あのメンバーはとても新鮮でしたねぇ。マーティーがあんなに完コピするんだぁというのも驚いた。CJの来日で飛び入りで弾いてたのは見てるんだけど、この人本当に好きなんだなぁと思いました。楽屋でも「楽しかったね」とか「またやろう」って何度も言ってたし。

●今日はラモーンズの話を聞かせてもらう前にまず直央君の音楽ヒストリーを少し聞かせてもらいたいんだけど、ロックやパンクを聴き始めたのはいつですか?

──ロックを聴き始めたのは、中学1年の時(80年代終わり頃)で、友だちが洋楽を聴いてて、それに影響されたのが最初かな。友だちはガンズ・アンド・ローゼスとかのメタルっぽいのを聴いてて、時代もそんな感じで。それが洋楽との出会いかなあ。僕の学校はけっこう洋楽がちゃんと流行ってて、日本のロックはほとんど聴かずに洋楽ばかり聴いていましたね。

●パンクとの出会いは?

──夜中にテレビで『シド・アンド・ナンシー』の映画がやってて、それを見たのが最初。それでピストルズに興味を持ってCDを買ったのが1番始めだっと思うな。

●じゃあ、安全ピンとかつけて学校に行っちゃったりしたの?

──そう。つけちゃったんですよ(笑)。僕の中学は私服だったんですけど、悪い先輩がいて、その先輩が革ジャンとかジーンズって感じのいわゆるロックの格好をしてて、それがかっこいいなと思い始めた。その頃の同級生にその後一緒にSHORT CIRCUITっていうバンドをやるジョージがいて、彼がラモーンズを知ってたんですよ。うちの学校は中学と高校が一緒の学校で、文化祭の時に、中学生はやったらダメなんだけど、高校生はライブをやることが出来たんですよ。
僕が見た高校生バンドの中にラモーンズのコピーバンドでレモーンズっていうのがいたんですよ。このバンドが凄くカッコよくて(ああ、これがラモーンズかぁ、かっこいいなあ)って言うのを、先輩のバンドで疑似体験した感じですね。丁度その頃に『ラモーンズ・マニア』が発売されたから、それをジョージから借りて聴いたのがラモーンズとの最初の出会いかな。

●ラモーンズとピストルズ以外のパンクはどこに行き着くの? ダムドやクラッシュの方が日本には先に入ってたと思うけど。

──ダムドやクラッシュにも行くんだけど、結局僕の場合すべてが後追いだから、年代ごとじゃないんです。全部まとめて聞くって感じでひととおりは聴きましたね。

●ロンドン・パンクの方がビジュアルがかっこいいなとは思わなかった? ラモーンズのデッキ・シューズはカッコよく見えた?

──見えましたよ。とにかくその文化祭バンドのレモーンズがカッコよかったから。先輩のデッキ・シューズ姿も本当に格好良かったんで(笑)。ロンドン的ないわゆる『パンク』のイメージとはちょっと違ったのが良かったのかも。

●その、先輩の写真はないの?(笑)

──探せばあるかも(笑)。とにかくその先輩の革ジャンとデッキ・シューズ姿が、僕の中に「ラモーンズはカッコイイ」という価値観を作ったようなもんで。

●私もその先輩にお会いしたかったわ(笑)。

──ははは。実はその先輩と、その後1度だけ一緒にレモーンズで演奏してるんです。

●その先輩は楽器は何をやってたの?

──ベースです。

●ああ、だから直央君もベースなんだね?

──いや、僕のベースはシドからきてるんですよ。だから当時はシドを真似して髪の毛も短くしてた。

●へええ。ラモーンズのライブを見たのはいつ?

──中2の時に来日した(90年の)ラモーンズの日本公演が初めての生のラモーンズです。

●その来日はCJの初来日公演なんだけど、私は直央君と違って、そのシドっぽいルックスのCJの写真を見て、ラモーンズらしくないと「I Love RAMONES」に書いたような悪態をついちゃったんだけど(苦笑)、シド好きの直央君にしてみたら、あのシド風ルックスのベーシストがラモーンズのメンバーに加わるのは嬉しかった?

──はい、思いましたね(笑)。お、カッコイイなって。

●やっぱり、そうかぁ。改めて反省します(笑)。その来日公演のこと覚えてる?

──それがもう、何がなんだかわからなくて…。パフォーマンスそのものをまったく覚えてないんですよ、漠然としか。ライヴに参加したんだな、というのは覚えているんだけど、とにかく革ジャンの人だらけだったし、スタンディングのコンサートに行くって事自体が自分にとって初体験で、もう「なんだこりゃあ?!」と、会場に集まった革ジャンの観客にただ圧倒された中2って感じで(笑)。それでいざ曲が始まると倍くらいの早さで、最初曲も何をやっているのかわからなくなっちゃって。
かけ声の「1-2-3-4」も最初は何て言ってるのかも分からない。自分がずっと聴いてきたのは、普通のアルバムだけだったし、まだ『LOCO LIVE』もリリースされてない時代だから、目の前のラモーンズは想像していたのとはぜんぜん違ってた。ただ、後ろの方でとにかく圧倒されていた。でも、あのライヴを見ていなかったら、今の自分がこうして今ここには絶対いなかった!って言えるんですよ。

●凄いセリフが出ましたね! 活字を大きくして書きたいですね。

──いや、それは本当なんですよ。立って見るライヴも始めて。人の上を人が泳いで行くのを見たのも始めて。そういう世界を初めて見て、もうカルチャー・ショックというか…(こんな世界があるんだ?!)と、とにかく驚きばかりでしたから。

●中学生にとっては、本当に強烈なインパクトを残したライヴになった?

──確かその時はグッズも買えてなかった…あ、バッジを買ったかな? 中学生だから3個セットのバッジだけ買った。でもあとはその衝撃のライブに圧倒されたことしか覚えてない。グッズも買い忘れるくらいの衝撃で。

●90年てステージ・ダイブがスタートしたばかりの時代、ラモーンズのコンサートってステージ・ダイブが止まらなかったよね。演奏が止まらないから、ダイヴも滝のように降り続く。あんな永遠に続くステージ・ダイブって今なかなか見られないと思うんだけど?

──ああ、確かにそうかも知れない。何しろ曲が止まらないというか曲間がないから、ダイブを止める瞬間もわからないというか、止める瞬間がなかったんだと思う。それと、もうひとつは観客のライヴを渇望している感がやっぱり今のコンサートにはなかったというか。時代だとも思うけど、もう待ちましたという熱気と渇望感がとにかく凄かったと思う。しかもラモーンズだし。

●なるほど。時代か。

──今は情報もたくさんあるし、ネットで映像も観れたりするし。あといろんなバンドが割と来日するじゃないですか。でも、当時は違う。観たくてもずっと待たなきゃ行けなかった。だからありがたみがまったく違ったし、熱狂する具合も中途半端じゃないと思いました。

●その後のラモーンズの来日公演も毎年行ってるんだね? いつも1番後ろで見てたの?

──いや、その後はCJの前に行ってみてましたね。だから必ず右側(笑)。

●CJの前をキープするようになってからのラモーンズのショウは一番後ろで圧倒されながら見ていた時とは違いましたか?

──まぁとにかく、夢中で毎回目に焼き付ける感じで観てましたね。印象的なのはCJの激速いピッキングとか、近くで観るジョーイのデカさ。あと今考えるとラモーンズは生音もかなりデカかったように思います。

●その頃はもうベースをやっていたの? バンドをやろうと思ったきっかけは?

──やろうと思ったのは、中1か中2の時だったと思うなぁ、確か。とにかくベースはシドだからカッコイイと。その後はCJを見てベースは下の方にぐっと降ろしてきて…(笑)。

●CJより早くモズライトのベースを使っていたけど、最初からモズライトだったの?

──いや、最初はシドもCJも使ってた白黒のプレシジョンベースだったんだけど、僕のおじさんが趣味でベンチャーズをやっていて、モズライトの存在はけっこう子供の頃から知っていたんですよ。小さい頃はおじさんと住んでいたから弾いてるのも見ていたりしてたから。それで親しんでいたから、使ってみようかな、と思い始めてSHORT CIRCUITの途中からモズライトも使い始めたんです。でも、フェンダーとかに慣れてると、ちょっと使いずらいかもしれないですね。かなり好き嫌いが分かれるベースだと思いますよ。

●でもあんまりロックでモズライトのベーシストっていないよね? 私はCJより直央君のイメージが先にくるよ。

──(笑)。でも、実はCJの影響もあるんですよ。ラモーンズのPV『Spider-Man』でモズライトのベースを弾いていて、それを見た瞬間に「お、ヤベッ、かっこいい」と思っちゃった。この時からですね、モズライトを持とうと思ったのは。



●反応の早さが、さすがラモーンズ漬けベーシスト。そのベースは仕様もCJと同じにしたの?

──仕様はちょっと違いますね。僕のは2ピックアップで。カラーリングとかは似た感じですね。

●ところで、SHORT CIRCUITの時代にラモーンズ・トリビュート盤『When I was a teenage headbanger』をリリースしてるけど、これをリリースしようと思ったきっかけは? ジョーイが亡くなった時期も関係あるの?

──ジョーイが亡くなったという時期は関係あるんですけど、でもあえてジョーイへのトリビュートという意識はそこまでなかった。その頃アメリカのバンドが丸々1枚ひとつのバンドをカバーしたりしていて、レーベルの社長から「好きなんだしやってみたら?」と提案されて、やるならラモーンズだろとスっとここに行き着いた感じですね。ひとつのバンドが1バンドを丸々カバーするという試みです。

●このCDを始めて聴いたときの私の印象は、ラモーンズをいろんな角度からちゃんと知っているなあってところ。楽しいし愛がある。聴いた後、もしもインタビューする時は、立ち話程度じゃ終わらないなあと思った。そして声質も含めてメロウで甘いから心地良いジョーイ(とディー・ディー)の世界だなぁと。アルバムで言うと、『END OF THE CENTURY』と『PLEASANT DREAMS』の辺りでリリースしてもいい感じの内容というか…。

──それは嬉しい。ありがとうございます。

●例えば1曲目に『Durango 95』をもってきているところも、この曲でスタートするライブのかっこ良さを体で知っているな、とか『TOO TOUGH TO DIE』のアルバムのイントロのかっこ良さを感覚で知っているなと思えた。私の世代では当たり前だけど、もっと下の世代には違うはずだから。選曲はキャッチーで染みる曲の集大成。「マニアックすぎず、ベタすぎず」って書いてあったけど曲のセレクトはどんな風に選んだの?

──自分の好きな曲と配置のバランスは考えましたね。でもユキさんが言うように、たぶんライブや流れで『Durango 95』を最初にもってくるこだわりは、もう自分の中では当たり前というか考えてこうしようみたいなのはないですね。自然にそうなっちゃうんです。

●曲の並べ方も年代順ではなく、考えておかれてると思ったけど?

──後追いでレコードを揃えていった僕の中では、ラモーンズのアルバムで1番僕の琴線にふれるアルバムは『ROAD TO RUIN』『END OF THE CENTURY』『PLEASANT DREAMS』あたりなんですよ。
だから、それは影響していると思う。90年代あたりから「CD、全部集めるぞ」と、お小遣いをためて、買い揃えていくんです。かたっぱしからリリース順も関係なく、とにかくお小遣いがたまったら、お店にあるものから買って行く感じで。だから揃ってからは、年代順に並べて聴くこともできるけど、当時は買ったアルバムが僕の順番なんです。その中で好きなアルバムが明確になって行く。ああ、そうだ。そういえば、『SUBTERRANEAN JUNGLE』だけは当時、どうして最後までCD化されなかったんですか?

●さすが、よく覚えているね。それは日本でワーナーからの音源をCD化する時に、このアルバムだけは、アメリカの契約書類のリストに当時入っていなかったんだよね。ワーナーの人からそう聞かされた。だからそこまでの作品は全部スムーズにCD化できたけど、この1枚だけは、CD化の契約が出来なかったの。だぶん当時、アメリカのワーナー(SIREレーベル)がバンドに見切りをつけようとしていたんじゃないかなと思う。これはあくまでも私の勝手な推測ね。その後彼らは、ワーナーを離れて日本では東芝EMI(現EMI MUSIC=RADIO ACTIVE)に移籍したし。だからこれも推測だけど、『SUBTERRANEAN JUNGLE』は、アメリカでは実はもうワン・ショット契約(1枚のみのリリース)だったんじゃないかな? それまでは複数年契約だったからデビュー盤からずーっとスムーズに行ったけど。バンドも入院だの、なんだのというごたごたな時期に入り出しちゃったし稼ぎ頭じゃないと判断されたのかも。これはあくまでも推測だけどね。
それで質問に戻らせてもらいますけれど(笑)、直央君にとって、ラモーンズのアルバムがファーストから年代事に並んでいくのは、いつ頃からなの?


──並ばないんですよ。僕にとって、並びの違和感はないんですよ。最初は『RAMONES MANIA』から入っていくんだけど、全部しっかり聴いたから、自分の中では時代というかアルバムのカラーはちゃんと成立して行った感じですね。ファーストの「Blitzkrieg Bop」と『TOO THOUGH TO DIE』の「Howling At The Moon」はまったく違うじゃないですか。だから、聴き込んでいけば、アルバムの違いはしっかりわかる。録音の仕方も時代によって全く違う。それでアルバムのカラーが明確になると、あとは時代で並べて、カバーを見てみれば、ああ、こんな時代なんだな、こんな風に変化したんだなというのは理解できるというか。

●研究熱心だ。深いなぁ(笑)。

──僕が1番好きなのはジョーイなんですけど、歳をとればとるほど、ジョーイが好きになります。

●うん、それはなんとなく分かるなぁ。ジョーイはエモーショナルで繊細で一番人間らしさが見えるタイプ。ディー・ディーもそういうところあるんだけど、歳をとるほどディー・ディーが好きになるじゃ人生危ない(笑)。ジョーイの魅力ってひとことで言うとどんなところだろう?

──うーん…単純に歌声も好きだし、おとなしかった少年がROCKで変身していった感じもすごく共感をおぼえます(笑)。あとはありふれた言い方になっちゃうけど、やっぱりセンチメンタルでロマンチストな感じの部分ですね。繊細さと言うか。

●ところで曲の並べ方はどうやって? 裏ジャケに年代ごとにちゃんと分かりやすく並べていて凄く親切。これはこのアルバムを聴く人のためにちゃんと時代のスタートから並べたんだなと思ったよ。

──そうですね、ちゃんと最初から並べました。理由もユキさんが言った通り(笑)。聴いてラモーンズをわかったら、どのCDに入ってるとか分かりやすい方がいいかなって。(CDを手に取って眺めながら)最初は「Durango 95」で、最後は「A Real Cool Time」か。…渋いなぁ(笑)。

●渋いけど愛がある並び方だと思ったよ。たぶん直央君やジョージ君は普通に自然に選んで並べたと思うけど。ところで自分で書いたライナーに「マニアックすぎず、ベタすぎず」と表現しているけど、もしもマニアックでベタなバージョンで作るとしたらどうなるの?

──マニアックでいっちゃうと、もう『PLEASANT DREAMS』全部いれちゃいたい、みたいな(笑)。正直、全曲やりたいです。ただあまりにマニアックに寄っちゃうのもなんだから頑張って2曲にしたんですよ。「KKK」はバンドの初期からよくカバーしていたし。あとは「Sitting In My Room」も、いいなあ。そういえば、CJが去年の来日公演でこの曲やってたからびっくりしました。何と言うか、一曲一曲の存在としては、地味めというか、例えば「Something To Do」みたいな、そんな存在の曲でも、アルバムの中には流れとして重要な曲というか、そういう曲が好きなんですよ。例えば『ROCKET TO RUSSIA』の中だと「Here Today, Gone Tomorrow」とか。こんな曲ばかりで作ったら、やっぱりマニアックでしょう?(笑)

●今日のインタビューは深すぎて、新しい若いファンにはちょっと難しいかも(笑)。選曲には統一感があって無駄がなく、綺麗だなと思った。そういえばラスト曲のあとにシンプソンズのハッピーバースデイのパクリもかくしてあったり、「通」にしかわからないことだらけ…濃いですねぇ。

──そういう人に分かってもらえればと思ってやってみました。僕の好きな曲だけで作ったら、いわゆる一般的なラモーンズの曲ちっとも入らなくなっちゃう(笑)。だから、あれでもいわゆる普通のラモーンズの良さが伝わる選曲にした感じですね。

●このアルバムのジャケ写の革ジャンは自分の? 今も持ってるの?

──もちろん今も持ってますよ。これはちゃんとSCHOTTです。

●リッチな中学生だわ(笑)

──違うんですよ、誕生日プレゼントを前借りしてSCHOTTの革ジャンを買ってくれって親に頼んだんですよ。それで中学生だけどSCHOTTの革ジャンをゲット(笑)。

●ツイッターでUSバッジやイーグル・バッジのコレクションの写真をアップしていたけど…

──持ってきましたよ。これです。USとイーグルの差はディー・ディーの気分の時はこっちで、CJの気分の時はこっちみたいに付け分けるんです。

●うわ、またマニアックな。

──『MONDO BIZARRO』がリリースされた時に、CJがこれを付けていたので、「お、なんだコレ?! かっこいい、探さなきゃ!」と思って、福生とかアーミー・ベースがあるような場所まで探しに行っちゃって(笑)。しかもディー・ディーの時代は、写真も革ジャンを着た鮮明な写真が見つからない。しかもたまにびしっと全員革ジャン写真が出てきても、USバッジのあたりまでぐっとよってくれないと、どんなのだか、見えないじゃないですか。それでしっかり見て研究しちゃって(笑)

●本日、頭が下がりっぱなしです(笑)この赤い箱は? コレに入って売ってたの?

──自分で作った保管箱です。この中から選んで気分でつけるんです。今日はCJだな、と(笑)。

●ところでSHORT CIRCUIT解散の時に配ったバッジも凝っていたよね。このバッジを直央君が「ユキさん、ごめんなさい」って言ってくれたのを今も覚えてます。パクったから私が怒ると思っているのかなと思ったけど、むしろ本当に好きなんだなあと思ったよ。バッジの直央君はNAOU HARAじゃなくて、N.H表記でCJみたいにしたんでしょう?

──そうそう。Tシャツもモズライト風にしちゃいました。

●「電撃バンド」でギターを弾いてくれたマーティー・フリードマンが仕事でいろんなギターを弾いてもやっぱり、ラモーンズがやりたくなっちゃうんだよ、ってよく言うんです。ラモーンズをプレイするのって直央君にとっては、どんな感じですか? 初心に返る感じ?

──単純に楽しい。なんだか…思い出すというか。楽器を持ち始めてコピーしたことも含めいろんなことを思い出すんですよ。家で一人でずーっと『IT'S ALIVE』を聴きながら、通し練習をしていたような頃のことを。基本なのかな、初心? 簡単に言えないけど、そんな感じなんですよ。

●ベーシスト&ヴォーカリストとしてジョーイやディー・ディーやCJから影響はうけてる?

──プレイヤーとして...うーん、直接的な影響はどうなんだろう。基礎を作ってもらった感じですかね。バンドやり始めの頃とかは、例えばショート・サーキットをやっていた時は、ライヴの曲間をあけないでやるという部分、あれはラモーンズの影響だったと思います。ベース・プレイ云々に関しては、ジョン・エントウィッスル(The Who)とかすごい好きですね。曲作りの面ではエルビス・コステロが好きだからそのあたりの影響もあったり。

●ちょっと話はかわるけど、自分のオール・タイム・ベストのバンド3つって何?

──うーん、難しいなぁ。RAMONES、THE WHO、THE BEATLES…あとエルビス・コステロとかWEEZERとかALLとか。

●映画『END OF THE CENTURY』を見てどう思いましたか?

──知らないことがいっぱいあって…でも、見ない方がよかったとは思わなかったですよ。ミュージシャンとしては、バンドをやって行く中で起きるいろんな事は共感する部分はあって理解はできました。ファン目線で見ると、こんなダークな部分があったのかという部分も知れたのはよかったと思ったなあ、僕は。でも僕はジョーイの病的な部分はショックでした。その事実に対して。

●メンバーが亡くなっちゃったけど、その時はどんな気持ちでしたか?

──ジョーイが亡くなった時に思ったのは、ラモーンズは変な言い方だけど、人間じゃなくて、絶対に死なないんだって思っていたんですよ。なんか変なんだけど。だから最初は受け入れられなくて。すごくショックなんだけど。でも、映画『END OF THE CENTURY』を見た時に、人間臭さが描かれていて、やっぱりラモーンズも人間なんだな、と思えたんですよ。だからそれ以降『PLEASANT DREAMS』に漂う空気感というか、ジョーイ・フレーバーが違って見えてきたというか。

●なるほど。でも凄くよくわかります。このアルバムとジョーイは一緒だもんね。

──そう。ジョーイのセンチメンタルなところとか、ロマンチストな部分とか、映画を見てそこも深まった感じがして、僕にはあの映画はよかったと思いますね。あの映画、僕的に2カ所泣きポイントがあるんですよ。一つ目は最後のジョーイのくだりで「世界中の人を解放した」っていう部分。あそこはいつもグッときますね。あとは最後のディー・ディーのラスト・シーン。よくあんな場面を撮影して残しておいたなぁ…と。だから映画の話になっちゃうけど、よくぞ作ってくれたなあ。ジョニーがよくぞGOを出してくれたって思いました。

●ファンがそう思うのであれば、ジョニーの思惑通りだから成功だね。ところでラモーンズが引退しないで、続けていたら生きてたのかなって思うことない?

──あぁ、それはちょっと思うなぁ。なんとなく希望もこめた意味で。

●手前ミソですみませんが、『I Love RAMONES』は読みましたか?

──もちろん。映画と本でワン・セットになった感じでよかったです。本に書かれてた半分以上をオンタイムで経験してきた時代だったから、自分の記憶と重ねて読みましたよ。ユキさんの本は目線が自分と近いなと感じたし。バンドのファンになって、バンドと関わって行く話だし、主観が凄く入っててワクワクしながら読みましたよ。映画だけ見てたら、ジョーイとジョニーの間には何もなかったという冷たい感じだけで終わっちゃう人もいたと思うんですよ。捉え方として。でもユキさんの本を読んで補足してもらった感じですよ。あとは細かいディテールをいっぱい書いていて、例えば楽屋の中でも細かい動きがちゃんと描かれていて、そんな部分を知れたことも凄くリアルで面白かった。楽屋の風景なんて想像もつかなかったから。

●なるほど。今考えると大雑把な本だと自分では思っちゃうんだけど、それならよかったです。ところで、2010年の今、好きなラモーンズのアルバム3枚と理由を教えてください。

──鉄板は『PLEASANT DREAMS』そして、あえて『MONDO BIZARRO』ですね。リアル・タイムでラモーンズの新譜がリリースされて初めて買った作品だから。あと1枚か…『ROAD TO RUIN』と言いたいところだけど、うーん、ファースト『RAMONES』かなあ。なんかバランスとっちゃうなあ。

●ああ、わかる。バランスとっちゃうよね。私もそういう事しちゃう。

──だから書いておいてください。『RAMONES』なのか、と質問されたら違うかもしれないんだけど、今日選ぶ3枚というバランスの中での3枚なんだって。

●分かりました。忘れずにちゃんと書きます(笑)。しかし『MONDO BIZARRO』のカバー、どうにかしてほしい。

──そうそう、そうなんですよ(笑)。なんだこれ?って思いましたよ。でも自分にとってのラモーンズ初の新譜。だから思い入れは凄くあるんですよ。いい曲も入っているし。

●最後に、直央君にとってラモーンズってどんな存在ですか?

──簡単に言っちゃうと僕の根っこです。今の僕がここにいる土台になっているのはラモーンズなんですよ。今もそう思うんです。全てのきっかけというか、バンドをスタートしただけじゃなく、なんていうか、映画の中でも「ラモーンズを見ておれも出来ると思った」ってミュージシャン達が発言しているじゃないですか。あれを自分もリアルに感じたんですよ。それは、技術的にでもあるし、気持ち的にもそうだし。

●そうかぁ。私はプレイヤーじゃないからピンとこないんだけど、どこなんだろう? そう思えるところって。

──スタイルじゃないかな。曲が短くて、簡潔で、シンプルで残る。革ジャンとか、ルックスのビジュアルも発明だと思うけど、それを続けてきたからだというのもあると思うんですよ。続けずにインパクトだけで終わっちゃってたら、説得力なく終わったと思うんですよ。人への印象も。でもそれを続けたからそれが説得力になったと思います。メンバーもすごく音楽ファンていう感じもするんですよ。あと個人的に、ラモーンズはポリティカルなことを持ち込まないっていう部分も影響を受けているんですよ。そこも好きでしたね。それがずっと自分の中に今も残っているんですよ。そういうメッセージの打ち出し方もあるんだなって。

●それを言葉で聞いたのは初めてかも。メンタルな深い部分も影響をうけてますね。少なくともこれらの言葉はラモーンズを見続けてないと出でこないセリフだと思います。今日は長い時間、本当にありがとう。
最後に2002年、SHORT CIRCUIT時代にリリースしたラモーンズ・トリビュート盤
『When I was a teenage headbanger』から本人が書いたコメントの一部を抜粋します。

「ラモーンズは僕らに、ロックンロールが本当に楽しくて、特別な人達のモノじゃないって事を教えてくれました。僕は、そんな世界中にいるであろう“RAMONESに人生をかえられた”人々の中の一人であることを今も誇りに思っています」

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■ASPARAGUS 機材車盗難に関するインフォメーション■
2010年12月に起きた機材車盗難に関する詳細はコチラをご覧ください。
http://www.3p3b.co.jp/asptounan.html

■ASPARAGUSのツアー・インフォメーション■
2/27(日)大阪 BIG CAT
3/11(金)下北沢 SHELTER
3/21(祝・月)名古屋 HUCK FINN
4/17(日)大阪 LIVE HOUSE Pangea
4/18(月)神戸 太陽と虎
4/23(土)富士山YMCAグローヴァル・エコ・ヴィレッジ
4/25(月)新代田 FEVER

インタビュー / FCスタッフ:カイチョー・ユキ(yuki kuroyanagi)
取材場所 / 神奈川・横浜にて(2010年12月)
写真 / FCスタッフ:sumie(取材)


テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by (c)yuki kuroyanagi & (c)RAMONES FAN CLUB JAPAN

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