June 27 Tokyo 西武劇場
June 28 Tokyo 西武劇場
June 29 Tokyo 西武劇場
July 1 Nagoya 雲竜会館
July 2 Kyoto 京都会館別館ホール
July 3 Osaka スタジオあひる
July 4 Fukuoka 大博多ホール



Oct.24 Tokyo 中野サンプラザホール
Oct.25 Tokyo 中野サンプラザホール
Oct.26 Kobe フィッシュダンス・ホール
Oct.27 Osaka フェスティバル・ホール
Oct.28 Tokyo MZA有明



Sep.3 Osaka モーダ・ホール
Sep.4 Nagoya クラブ・クアトロ
Sep.5 Kasawaki クラブ・チッタ
Sep.6 Kasawaki クラブ・チッタ
Sep.8 Nagoya クラブ・クアトロ
Sep.9 Nagoya クラブ・クアトロ
Sep.10 Osaka モーダ・ホール
Sep.11 Osaka モーダ・ホール
Sep.13 Kawasaki クラブ・チッタ
Sep.14 Kawasaki クラブ・チッタ
Sep.15 Kawasaki クラブ・チッタ
Sep.16 Kawasaki クラブ・チッタ



Feb.5 Kawasaki クラブ・チッタ
Feb.6 Tokyo 浅草常盤座
Feb.7 Tokyo 浅草常盤座



Jan.9 Tokyo 中野サンプラザ・ホール
Jan.10 Kawasaki クラブ・チッタ
Jan.11 Tokyo メルパルク・ホール
Jan.12 Tokyo メルパルク・ホール
Jan.14 Nagoya ダイアモンド・ホール
Jan.15 Nagoya ダイアモンド・ホール
Jan.17 Osaka IMPホール
Jan.18 Osaka IMPホール



Feb.2 Kawasaki クラブ・チッタ
Feb.3 Kawasaki クラブ・チッタ
Feb.5 Fukuoka つくし会館
Feb.6 Osaka IMPホール
Feb.7 Nagoya ダイアモンド・ホール
Feb.9 Kawasaki クラブ・チッタ
Feb.10 Kawasaki クラブ・チッタ
Feb.11 Kawasaki クラブ・チッタ



Oct.16 Tokyo 中野サンプラザ・ホール
Oct.17 Tokyo 中野サンプラザ・ホール
Oct.18 Kawasaki クラブ・チッタ
Oct.20 Fukuoka クロッシング・ホール
Oct.22 Matsumoto 社会文化会館
Oct.23 Tokyo クラブ・チッタ
Oct.25 Sapporo ザナドゥ
Oct.27 Nagoya ダイアモンド・ホール
Oct.28 Kawasaki クラブ・チッタ
Oct.29 Kawasaki クラブ・チッタ
Nov.1 Osaka IMPホール
Nov.2 Osaka IMPホール


2月2日 川崎 クラブ・チッタ
2月3日 川崎 クラブ・チッタ
2月5日 福岡 つくし会館
2月6日 大阪 IMPホール
2月7日 名古屋 ダイアモンド・ホール
2月9日 川崎 クラブ・チッタ
2月10日 川崎 クラブ・チッタ
2月11日 川崎 クラブ・チッタ


93年に続き冬の来日。1、2月に海外組の来日が多いのは、毎年1月に行なわれているオーストラリアの夏フェス「BIG DAY OUT」の出演後に日本に立ち寄る為。「本当はもう少し暖かい時期に来日したい」とメンバーはよく言っていた。東京で行なわれるショウがラモーンズ通算2000回目のライヴになるということを来日してから聞かされた。そこでプロモーターは急遽くす玉を用意しステージ上にセット。ファンクラブは私が急いで祝・フラッグを(マジックで書いて)作り渡した。当初2月10日が2000回目のライヴと伝えられたが、追加公演がその前日に入ったため、記念日は前倒しになった。

仕事でバンドに接することも増えた。
フォト・パスも兼ねたパス。


2000回記念ライブ後に東京・六本木のハード・ロック・カフェで行なわれたパーティー。レコード会社のえらい人たちやスタッフとディナー。
メンバーのバックに張られたフラッグは前日の夜に会長YUKIが、マジックで描いた手書きフラッグ。メンバー・全員のサイン入り。


このように記録としては大きい2000回目のパフォーマンスも、メンバーは特に趣向を凝らすことなくいつもと同じようにプレイをした。CJだけはライヴ終了後にAC/DCのアンガス・ヤングのようにパンツを下げてケツをみせるというおふざけをやったが、これは非常に珍しいこと。(あとで理由を聞いたけど誰かにヤレと言われたからだったような)  
ファン・クラブの会報用にもらったメッセージ。


  
楽器雑誌の記事。文中で「今日が2000回目のライヴ」と語っている。ツアー中のリアルな記事。


ファンクラブはバンドとマネージャーに公認されていたので、プロモーターSMASHの協力を得てライヴ終了後に会員を楽屋に招待するなど、ミート&グリート企画も毎日やらせてもらえていた。このため会員はメンバーと直接交流をもつ機会ができた。この企画の影響でメンバーは毎回たくさんのプレゼントをもらい、帰りはいつも山のようなプレゼントを抱えて車に乗り込んでいた。前述したようにオーストラリアの夏フェスから流れてくるバンドの来日が多かった為、日本には来日アーティストがこの時期たくさん集結し、ある日の楽屋にはサウンド・ガーデンが遊びに来ていたこともあった。このツアーで14年振りに福岡公演を実現。JOHNNYは「FUKUOKA」という単語が発音しづらく「FxxkとOK」に見えてしまうと言いながら何度も発音を聞いては繰り返して練習していた。
JOHNNY RAMONEのギターにどこの企業も興味を持っていなかった(?)時代に、遂にリリースされたJOHNNY RAMONE MODELのフライヤー。


当時のレコード会社、TOSHIBA EMIがおこなったキャンペーン。応募で当たればラモーンズに会えた。よく来日していたバンドなのでこうした企画も簡単にできた。   



テキスト及び写真 : 畔柳ユキ / Ramones Fan Club Japan ©RAMONES FAN CLUB JAPAN
ALL TEXT & Photos by ©yuki kuroyanagi & ©RAMONES FAN CLUB JAPAN

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